涼宮ハルヒの悪戯


 何故人は緊張するのだろう。
 何故俺はここにいるのだろう。

 周りが暗く感じる。夕方だから暗くなってきているのは当たり前ではあるのだが、気分的な問題も大いに絡んでいるだろう。
 いつも思う。悪戯をして見つかったときに、「何で俺はこんなことしたんだろう」と。

 できるならば過去の俺に小一時間説教をしてやりたい。そして、何が何でもこの計画に参加しない方向へ仕向けたい。
 過去の俺に会うためには目の前にいる人の力が必要だ。そう、俺の目の前にいる人。


 いつもどおりメイド服に身をまとった、朝比奈みくるさん、その人に。

 もちろんできるわけはないが、と前置きしてからこう願う。
「朝比奈さん、俺の心の声が聞こえていたら過去に戻って俺をぶん殴ってください」
 もちろん通じるわけも無く、通じたとしてもきっと許可はだしてくれないだろう。

 頭にハテナマークを浮かべている朝比奈さんと俺と、その二人きりになったこの部室。素晴らしいこのシチュエーションに似合わない思い雰囲気とやらねばならない使命。もちろん元凶はハルヒなのだが、……。






 日付が変わらないほどに時間を遡り、俺が進路の決定を間違った昼休み明けの授業中のことだ。

 珍しく睡魔に教われないでいた俺は、かといって真面目に授業を受けたりはしていなかった。
 最近はハルヒ絡みの事件も起きずに平穏を満喫していた俺の安らかなひと時。
 窓際の席の強みと弱みをかねた日差しに、本日に限りポカポカとした気持ちよさを分け与えられて日向ぼっこをしているような気分を味わいながら、夏になればこの日差しは俺の体を溶かすんだろうな、なんて考えていると、後ろからお呼び出しが掛かった。

「キョン、いい事思いついたわ」
 授業中だというのになんだ?
「SOS団にドッキリをしかけましょう」

 眩い笑顔を放ちながら、夏休みに入ったばかりの少年のような笑顔で話しかけてくる。
「今は授業中だ。話は後で聞いてやる。時と場合によっては手伝ってやらなくもない。俺は逃げないから、だからあとでにしてくれ」
 直射日光を避けなければならない俺が眩しそうにハルヒを見ていうと、
「しょうがないわね」
 といって妙に素直に納得した。もしかしたら俺はとんでもないことをやらされるのかもしれん。今のうちに休息をとっておくことにしよう。おやすみ。


 授業の終わりを告げる鐘がなり、教師が終了を宣言する前に俺の体はドアの向こうへ引っ張られる。
「落ち着け!もっと、ゆっくり、歩いてくれ」
 勢いよく俺の腕を掴んでいつだったかの屋上へ通じる階段の踊り場に、もちろん俺の提言を受け入れずに全力で走破する。流れ行く景色の中で、久しぶりに見るハルヒの満開の笑顔が印象的だった。

 目的地であろう場所へ着くとハルヒは俺の手を掴んだまま、
「SOS団にドッキリをしかけるわよ」
 と言った。ドッキリなんて仕掛けても引っかかるのは朝比奈さんくらいのもんだろう。
「なんのドッキリだ。内容を言え」
「あんた、告白しなさい」
 …何を言ってるんだコイツは。そもそも俺はいつ、どこで、誰に、何のために告白しなければならないというのだ。
「断る」
「うん、決定ねっ」
 って人の話を聞けっ。
 ハルヒは「うーん、誰に告白させようかしら」だの「ゆきとみくるちゃんの前で告白させるべきかしら」とか不穏なことをのたまいやがっている。
「決めたっ!有希とみくるちゃん、両方に告白してもらうわっ」
 だから断るっての。何が楽しくて告白なんぞしなければならんというのだ。だいたい告白して成功しても付き合うわけにはいかない上に、失敗したらいたいけな青年の心に大きな傷を残してしまうではないか。そんなハイリスクローリターン、いや、ハイリスクノーリターンなギャンブルはお断りだ。
「なぁに?キョンのクセに団長様に意見しようっていうの?」
 意見でもなんでもさせてもらおう。そういうことは自分でやれ。
「あら、あたしがやればキョンもやるのね。ならいいわ。あたしは古泉くんにちょっと告白してくるわ」
 俺はやるとは言ってない。湾曲した見解を示すな。

「しょうがないわね。じゃあ今日やるから、あんたはカメラマンね」
 会話がつながっていないのは最新機種のハルヒと昔の機種の俺、そこに互換性がないからだろう。
 まったく細かい打ち合わせもなく、満面の笑みを浮かべるハルヒに押し切られる形で涼宮ハルヒという実行ファイルが起動し始めた。
 つくづく思う。何で俺は流されてしまったのだろうか、と。



 時は流れて放課後となる。
 ハルヒはどこからか用意したカメラを片手に、
「今日は他の団員には休日って言ってあるから。で、みくるちゃんと有希は時間をずらして部室に呼び出ししといたからね」
 もちろん、あんたの名前でね、と、のたまいおった。右手をおでこにかぶせてため息をつく。
「何で俺が…」
「何言ってるの?あたしもやるわよっ。最初に来るのは古泉くんだから、あんたはしっかり隠れてカメラをまわしときなさい」
 そうかい。なら俺はお前の告白を参考にさせてもらうよ。こう見えても告白なんてもんは生まれてこの方したこともされたことも無いんでね。

 あきらめた俺の目に入ってきたのは文芸部室のドアだった。ハルヒが勢い良く入っていく。さて、と覚悟を決めてハルヒの後を追って入る。
「じゃあキョン、あんたはロッカーの中に隠れてなさい。もうすぐ古泉くん来るはずだから」
 はいはい。好きなようにしてください。


 ロッカーの中で待つこと数分、ノックの音と共にいつものニヤケ面の古泉が入ってきた。
 心なしか緊張した面持ちのハルヒはいつになく真剣な表情だ。うむ、黙っていれば可愛いのは認めてやろう。

「失礼します。涼宮さん、お話というのは何でしょう?」
 ハルヒは少し俯いて、恥ずかしさの為か赤くした顔で上目遣いで古泉を見ている。そのハルヒらしからぬ表情を見てか、古泉のニヤケ面が3割減った。
「涼宮さんがそんなに緊張している面持ちになるのは珍しいですね。ではお茶を入れましょう、飲めば少しは落ち着くはずです」
 と、俺から見て如才なく振舞った古泉をハルヒが制する。
「ありがと。でもお茶はいいわ」
 顔を上げたハルヒは意を決したようで、一気に捲し立てた。
「あたしね、古泉くんのこと好きよ」

 言いやがった。今までは何だかんだと告白なんてものに実感がなかったが実際に目の当たりにすると……。
 なぜ高鳴る心に迷いや戸惑いを感じるのだろう。暴れる痛みを堪える。
「おや、以外ですね」
 古泉は少し考える仕草を交えてから、
「いえ、他意はないですよ。僕としましても涼宮さんのように非常に魅力的な方に好きと言われたことは非常にうれしいです。ですが、」
 ちらりとこっちを見た。もしかしてコイツ、気付いてるんじゃないだろうか。
「僕は涼宮さんには他にお似合いの方がいらっしゃるのではないでしょうかと存じておりますが」
「そんなことないわ。あたしは…」
「涼宮さん!」
 いつになく真面目な表情を作る二人に、珍しくハルヒに意見しようとしている古泉を見ていると、本当に告白している錯覚に陥りそうになる。
「あなたの魅力は大胆不敵、明朗快活、その涼宮さんの大きさが一番の魅力です。
 例え冗談でもそういったことは口にしてはいけません」
 ハルヒは黙ってしまった。
「それに、あなたは本当は」
「もういいわ。ごめんね古泉くん」
 古泉の言葉を遮ってハルヒが言う。
「キョンもでてきていいわよ。バレバレだわ」

「やはりそうでしたか。いえ、涼宮さんから言いたくないオーラがでてましたので、もしかしたらと思いまして」
 いつの間にか元に戻ったニヤケ面だな。
「悪いが解説ならいらんぞ」
 とりあえず話すと長くなる古泉を止めておいた。
「変わりに、というかついでに、ハルヒを止める権利を与えよう。俺もこれから朝比奈さんと長門に告白しなきゃならんのだが、心が重い。
 お前の口から『例え冗談でもそういったことは口にしてはいけません』と言ってやってくれ」
「いえ、ね。涼宮さんにそういったのは涼宮さんが苦しそうな表情をしていたからですよ。
 あなたが告白することに止める権利は僕には一つもない。例えそれがウソの告白でも、です」
「そうよ、キョンはキョンなんだからあんたはちゃんとやりなさい」
 少しシュンとした表情でハルヒは言う。少し俯いて。
「女性にだけ恥ずかしい思いをさせるものじゃないですよ?それに僕もお二方の反応を見てみたくもあります」
 古泉は、さっきまでのシリアス調でハルヒを説得してたときとはまったく違う表情を作っている。うれしそうと楽しそうがまじったニヤケ面だ。
 さすがは機関で鍛えられたのだろう、本音と建前の使いこなしがうまいやつだ。

「どうせならもっと盛大にやりましょう。隠しカメラを何台かセットしておきます。それを我々はコンピ研を間借りして鑑賞させていただくことにしましょう」
 といった古泉がカバンからカメラを何台か設置していく。なぜカメラがささっと出てくるのだろうか。これも機関は予測していた事態なのか。
 それを確認する意図を含んで何気なく手伝ってやるように近づくと古泉は、
「昨日涼宮さんはドッキリのテレビを見てましたので、こうなる可能性を考慮していたのですよ。実際ドッキリを仕掛けられると緊張します」
 とかほざきやがった。
 恐ろしく準備のいい古泉に仕掛けを全て任せると、元気が100倍近くなったハルヒが、
「じゃあそろそろ時間よ!みくるちゃんくるからあたしたちは隣にいるわ」
「ではまた会いましょう」
 何も言わずに俺はハルヒと古泉を見送った。
コンコン
「ど、どうぞ」
 やばい、声が裏返ってしまった。
「キョンくん?大事な話があるって聞いたんですけど…」

 麗しの朝比奈さんのご登場である。泣きたくなるほど緊張してきた。
「あ朝比奈さん」
「ひゃい?」
 どうやら朝比奈さんも普段とは違い緊張している俺に気付いたようだ。朝比奈さんも頭にハテナマークをうかべつつ緊張している。それがかえって俺を緊張させる。
「大切な話があるんです。聞いてください」
「はい」

 まずい、言葉が出てこない。視界がグラグラする。吐き気もする。俺は今どんな顔をしているのだろう。
 頭の中は真っ白になって、後悔だけが脳を支配する。

 なぜ俺はこんな大役を仰せつかったのだろう。何故俺はこんなところにいるのだろう。
 まさしく、冒頭のプロローグそのままに。



 俺が何も話せずに黙ってしまっていると、朝比奈さんは意外にも優しい笑みを浮かべて、
「緊張しているみたいなので、お茶をいれますね」
 とおっしゃってくれた。
 朝比奈さんには失礼はなはだしいのは承知で言わせて貰えば、この雰囲気の中で古泉並みに冷静にお茶を入れるなんてできるとは思っていなかった。
 また、先ほど古泉がまったく同じことをしていたのがそれを助長させる。
「お茶は結構です、ありがとうございます」
 と、朝比奈さんがお茶を入れるのを止めている途中で気付いてしまった。
 俺は、何と言うか、その、まったくハルヒと同じことをしているじゃあないか。
 しかし告白なんてものをするもしないもない俺には、告白がどういった行為を示すのかという概念は先ほどハルヒが見せた行為しか見たことがないため、イコールとなっている節がある。それならばハルヒを見本にしてしまえ。どうせ壊れるアイデンティティもつまらないプライドも持ってはいない。
 朝比奈さんは優しい表情を作って俺の言葉を待ってくれている。今更ながらこの人は上級生なんだと思ってしまった。
「恥ずかしいので一度しか言いません。僕はあなたのことが好きです」

 言ってしまった。
 恥ずかしさで朝比奈さんの顔を直視できない。
 頭の中を様々な妄想が駆ける。
 俺は何を言ったのだろう。
 ダメだ、この雰囲気は体が持たない。ハルヒよ、古泉よ、長門でも消えちまった朝倉でもいい。谷口はごめんだが、今すぐ俺を殺すか、ドッキリの看板を持ってドアを盛大に開けてくれはしないだろうか。

 色々な妄想が頭の中をひとしきり蔓延ったあとで、少し落ち着いた俺の頭は顔を上げるように神経に命令を下した。

 見ると、朝比奈さんはさっきの大人びた態度とは打って変わっている。上気させた顔を、口は半開き状態で焦点の合わない目でこっちに向けている。
 何やら未来的な事を呟いているのだろうか、時々「禁則事項」という単語が聞き取れる。何を言っているのかはわからなかった。
 俺の頭の中の冷静な部分がこれ以上は俺にはどうすることもできないことを告げている。

 朝比奈さんは未だにショートしている。
 俺は隠しカメラに向かってこっちに来いとジェスチャーで伝えた。といっても指先であらかじめ決めていたサインを出しただけだが。ハルヒ、古泉、早く来い。

 サインを出し続けて数十秒、俺が朝比奈さんと対峙してから数分、まだかと待ちわびる俺の期待を裏切らない。闘争の渦となったこの町には神はいないのだろう丘。
 無音でドアが開き、無言で人が入ってきた。朝比奈さんに視線を固定している俺の間接視野に人影が入ってきた。
 もちろんハルヒなら盛大な音量と共に爆撃してくるだろうし古泉はその爆音を奏でるハルヒと一緒にいるはずだ。SOS団以外はこの部屋に訪れることはほとんどない。掃き出し法でも消去法でも、この際だから消防法でもいい。導き出された答えを確認するべく、その人影の持ち主を見ると、やはり、
「長門」
 長門その人であった。そういえばハルヒは時間をずらして長門も呼んでたんだっけな。


 長門は固まっている俺と朝比奈さんを確認するように一瞥したあとで、何も無かったかのように定位置へ。そのまま本の世界に入り込んでしまった。
 だが俺にはわかる。長門は憤慨しているような、そんなムッとした表情を浮かべた。
「えっ、あっ、あっえっっと、」

 長門に気付いた朝比奈さんが息を吹き返した。
「あの、お茶、入れますね」


 今日一日で何回聞いたのだろう、「お茶をいれます」というセリフ。
 朝比奈さんは顔を紅潮させたままさっきまでの話題に触れようとしない。それどころか言葉自体発しなくなった。
 長門は黙々と本を読んでいる。朝比奈さんにはお茶を入れたときに朝比奈さんの顔を刺すような視線で3秒ほど見つめた後、何も無かったかのように読書に戻った。以来変化なしである。
 俺はというとかれこれ10分ほど湯飲みに入ったお茶を眺めているだけである。

 心の中で、ハルヒが楽しそうな顔で「修羅場よ!」なんて言っている。それも何度も何度も。
 何度もリフレインしてくるハルヒに心を折られそうになるが、ここでドッキリを暴露するわけにもいかない。なんせ長門まで参入してしまったから。
「すいません、ちょっとトイレ行ってきますね」
 俺は一言だけ残して部室をでた。もちろん行き先はトイレなんぞではなく隣の部屋、つまりはハルヒと古泉の待つコンピ研だ。

丁重にノックをしてドアを開ける。
「失礼します」
 コンピ研に入ってみると、部長が俺に気付いた。
「ああ、キミか。あのやかましい団長とやらは激怒しながらとっくに帰宅したよ」
 な、なんですと?
「一緒にいた男も電話が鳴って…」
 古泉、電話…閉鎖空間?考えすぎか。
「それにしても面白いものを見せてもらっているよ。この場にコンピ研が俺だけというのがあれだが、キミのところの団長の命令で録画してある。」
 録画までしていたのか。それよりはハルヒだ。いつのまに帰ったんだ。

 程なくして俺は部室に帰った。話すこと、聞きたいことがなくなったのもあるが、あまりに長いトイレだと片方は心配するだろうし、片方は怪しむだろうから。

 部室に戻るとそこには朝比奈さんの姿は無く、長門がドアの目の前に立っていた。
「朝比奈さんは帰ったのか?というか、そんなところにたってどうしたんだ」

 長門は少し考える仕草をしたあと、
「緊急事態」
 そう言った。





 長門はいつもより若干冷たい目で、
「涼宮ハルヒは閉鎖空間にいる」
 と言った。
 今日が始まってから今までの出来事でパニックに陥りすぎていた俺は何を言ったらいいのかわからず口をつぐんでいる。
「あなたには聞きたいことがある。言いたいこともある。だけど」
 そこで区切った長門は冷たい目を溶かし、いつも通りの表情に戻って言った。
「今は涼宮ハルヒのことを」
 もちろんだ。例え今の状況が、あの緊張感が嫌で逃げ出したくても、それでも俺はこの世界が好きなんだ。
 いつだったかハルヒと二人で行った閉鎖空間で嫌というほど思い知らされた。
 SOS団の全員との接点がなくなってしまっていたあの世界でも思い知らされた。

 俺は、涼宮ハルヒが巻き起こす問題や危機に悩まされながらも巻き込まれ、非日常にSOS団全員で立ち向かっていくこの世界が好きなんだ。

「ハルヒが閉鎖空間にいるということは、また世界の危機なのか?」
 かすかに長門が頷く。

「どうすりゃいい」

「涼宮ハルヒが古泉一樹のいう閉鎖空間にいるため、彼らは手出しできない。そのため彼の属する団体は緊急会議を開いている。
 古泉一樹も例外ではない。会議に呼ばれたため、ここに姿を現すことはできない」
「指を加えて世界が変わるのを見てろっていうのか」
 実際には世界が変わるどころか消滅する可能性もあるうえに、俺たち、この世界の人間は実感できないとか古泉が言っていたが。
「そうではない。あなたを閉鎖空間に連れて行くように古泉一樹から頼まれた」

 ふと長門が手を出した。

 お互い何も言わずに手を握る。

 俺はゆっくりと目を閉じた。なんとなく、長門がそうして欲しそうだったから。


 ふと、唇に柔らかいものが触れた。
 ビックリして目を開けると、
「ここは…」
 閉鎖空間だった。
 小学生が絵具で塗りつぶしたような灰色の空。有機生命体の存在を感じさせない、死んだような地球。
 気付いたら長門の手の変わりに一枚のしおりが俺の右手に掴まれていた。

 次は、わたしにドッキリを仕掛ける番


 ドッキリってわかってたらドッキリにならねぇよ。思わず笑いながら心の中で長門にツッコミを入れる。
「俺が朝比奈さんに言ったこととか、やっぱり長門は全部知ってたんだな」
 苦笑いしながら独り言を言う。

 さて、ハルヒの大馬鹿野郎でも探しに行くか。
 まったく自分から命令したくせに勝手に不機嫌になって閉鎖空間なんて作って引きこもりやがって。閉鎖空間じゃなくて、せめて自宅にでも引きこもれってんだ。
 それか、どっかの穴ん中にでも入ってればいいんだ。よく言うだろ?穴があったら入りたいって。
 100人に聞いたら100人が答えるだろう、あの時の俺の恥ずかしさを知ってほしいものだ。

 ひとしきり心中でハルヒに暴言を吐いた頃には1−5の教室に着いていた。
 いつかのように緋色の.空を背景に使命を果たすべくナイフを持った少女がいるわけはなかった。ハルヒはこの空を赤く染めないでくれたようだ。


「よう。いてくれたか」
 その灰色の空を背景にハルヒは窓際の後ろから二番目の席に座り、机に突っ伏していた。俺の言葉にハルヒは無言でいた。顔を少し動かしたのが見て取れたので寝てはいないのがわかる。
「黙ってないで何とか言ったらどうなんだ?どうせここはお前の夢の中だ。誰も聞いちゃあいない」
 俺は窓際の一番後ろの席に座った。ハルヒからの返答はない。だがハルヒの背中は小刻みに震えていた。
「泣いてるのか?」
「うっさい、泣いてなんか無いわよ!あんたこそ言うことあるでしょ」
 半分冗談で言ったのだが、明らかな涙声で言われて、俺の、俺という個体を維持するために必要なもの全てに電撃が走った。

 あのハルヒが、泣いている。

 ハルヒの言葉から察するに、俺が関わることでハルヒは泣いているらしい。

「ドッキリのことか?」
 無言。ハルヒは体の震えに合わせて嗚咽する声を漏らしていた。
「俺はお前に言われた通りしただけだが、問題があったのか?いくらお前の夢の中とはいえ、言ってくれなきゃわからんぞ」

 ハルヒはゆっくりと起き上がり、目を拭いてからこっちを向いた。
「あんたになんかわかんないでしょ」

 正直、泣いているハルヒは見たくなかった。
 俺にとってのハルヒとは、憂鬱になって溜息をついても、退屈して消失しても、暴走しても動揺しても陰謀を企てていても憤慨していても、それどころか分裂したところで泣き顔なんて見ることはできないだろうし見たくないと思っていた。想像すらし難かった。
 ハルヒはいつもハルヒで、ハルヒらしいという定義があるならばそこには間違っても泣き顔なんて単語はでてこないだろうし、もっとも泣き顔から遠い存在であるだろう。盲目かもしれないがハルヒは何があっても毅然とした態度でいると思っていた。いて欲しいと思っていた。そんなヤツだから俺は…


 だけど、そんなハルヒを見た俺は、たまらなく愛おしいと思ってしまった。
 振り回されているだけで遠くから傍観している立場を望んでたはずの俺が、ハルヒを守ってやりたいと望んでしまった。

 俺の表情をどう解釈したのかはわからないが、ハルヒはこっちを向いたまままた机に突っ伏してしまった。俺が座っている、ハルヒの机に。

「みくるちゃんに告白してるときのあんたの表情、とてもウソとは思えなかったわ」
 突っ伏したまま、くぐもった声で続ける。
「みくるちゃんもまんざらじゃあない顔してた」

 そこで一呼吸置いた後で、顔の上半分、目だけを俺に覗かせて、涙目のまま言う。
「……あたしね、きっとあんたのこと好きなんだと思う」
 非常にドッキリしたが、ハルヒが俺を見ている手前それを表情にださず、言葉にも出さずハルヒの言葉を清聴する。
「みくるちゃんも好き。ベクトルは違うけど二人とも大好き。なのにウソでもあんたたちのラブシーン見てたら嫉妬した」
 俺には紡げる言葉など何一つなかった。全てが驚愕すべきハルヒの心情に思う。
「もし本当にあんたがみくるちゃんのこと好きだったらどうしようって思った。みくるちゃんもあんたのこと好きだったらどうしようって思った」
 ハルヒは淡々と、視線を俺の瞳孔に固定させたまま言う。
「でも、みくるちゃんはあんたのこと恋愛感情としては好きじゃあないのはわかるの。そう、父親とか兄とかそんな目であんたのこと見てる」
 うれしいような、悲しいような。言えないが。
「だからみくるちゃんはあんたが好きって言ったとき、それこそ何も考えられないくらいビックリしたんだと思う」
 ハルヒがそう思うならきっとそうなんだろうな、と相槌を打つ。
 少し目を見開いて、驚きを微妙に表現したハルヒは言葉に詰まって、涙目のまま顔をほんのりと朱色に染めて、上目使いで、
「……あんたはみくるちゃんのこと好きなの?」
 と聞いてきた。俺が答える前に、
「あたしはあんたが好きよ。きっとコレは揺るがない」
 といって、言いたい事を全て言ったのか、あとは聞くだけだという意思表示なのか、また目を隠した。俺の目線からは突っ伏したハルヒの顔は見えないが、恥ずかしいのだろう、耳まで赤い。きっと俺も赤いのだろう。

 
「俺はなハルヒ、朝比奈さんに好きだって言った後で思ったんだ。好きって言うのはそう簡単には言ってはいけないんだって。
 古泉がお前に言っていた意味が理解できた気がするよ。例えウソでもそう簡単に好きなんて言っちゃいけないんだ」
 俺の目の前にあるハルヒの頭を、子供をあやすかのように撫でてやる。反対の手に握っている長門製のしおりに汗が染み込む。

「確かに俺は朝比奈さんのことを好きだ。でもそれは恋愛感情なんかじゃあない。アイドルを好きになるような、そんな好きだ。
 だけど俺は、それでも朝比奈さんにはそんなことを言ってはいけなかったんだ。好きだの愛してるだのっていう言葉はそうそう言っていい言葉じゃない。
 恋愛っていうのはもっと難しくて幻想的で、厳格な事だって思い知ったよ。本当に好きな人以外には言っちゃあいけないんだなって」

 ハルヒは頭をかすかに動かして、それを返事の代わりにした。

「本当に好きな人にもあまり言ってはいけないんだなって思った、そんな俺の言葉を聞いてくれるか?」
 ハルヒはゆっくりと顔をあげた。不安と期待を混ぜて挙動不審で割ったような不安が覗き見れる。
 頭を撫でていた手をハルヒの後頭部にまわして、後ろ髪を掴んだ。

「2度目になるかも知れんが聞いてくれ。いつだったかのお前のポニーテール姿を俺は、大好きだって思えたぞ」
 ガツっと、俺とハルヒの間で邪魔をする机に阻まれて抱きしめてやることはできなかったが、ハルヒの後頭部に生える髪の毛を掴んでいる手を俺の口元に呼び寄せる。
 前回同様、目を瞑ることが礼儀作法だと信じている俺にはハルヒの表情は見て取れない。だから俺にはハルヒが未だに泣いているのか、俺に合わせて目を閉じているのか知りようが無い。
 だけど俺には確信がある。ハルヒは嫌がってはいない。
 だってそうだろ?俺とするキスが嫌だったら俺の首に腕を巻きつけたりは普通しないもんな。




 その後のことを少しだけ語ろうと思う。



 通算二度目の閉鎖空間での口付けを交わすと世界が暗転した。今度はベッドから落ちるということもなく、最初に閉鎖空間へ行った場所、文芸部室に帰ってきた。もちろんハルヒと一緒に。

 俺もハルヒも定位置にいた。ハルヒが眠る団長席の奥に広がる星空が、今はもう夜中なんだと告げていた。時計で詳細な時間を確認すると、夜の9時を指していた。
 時計を見た流れでハルヒのほうをみると、団長席から声が聞こえた。
「ん、んん〜」
 ハルヒは寝起きという言葉がこれ異常ないくらいフィットするうめき声を出してから座ったまま両手を天井に持ち上げた。
「やれやれ、ようやくお目覚めか」
 ビクっとしたハルヒは顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「ななな、なんであんたがここにいるのよっ!!?」
 やれやれ、元気いっぱいな団長さんだ。
「もう夜9時になるところだ。帰りながら説明してやるから支度しろ」
 下唇を持ち上げて「むぅ」と怒った表情を作ってはいたが、それ以外は何も言わずに、しかしどことなく楽しそうに帰り支度を始めた。

 コンピ研に保存されているであろう告白動画はどうやって処分しよう。古泉にでも頼むかな。そういえば古泉には悪いことをした。閉鎖空間へは行けなかったみたいだが、機関は相当な混乱に陥ったに違いない。
 長門にも迷惑をかけた。しかしすまん長門、お前にドッキリをしかけてあげることはできない。
 朝比奈さんにも謝らないとな。ハルヒと共に。

 しかし、帰り道ではどうやって説明してやろう。何と言ってごまかそう。
 だけどまあ、ごまかし終えたあとに言う言葉は決まっているんだ。

 そう、俺は別れ際にでも2度目のキスをかましてやった感想でも述べてやろうと思ってるんだ。