佐々木の約束


 平穏と退屈は紙一重である。

 非日常と日常は紙一重である。


 平穏は続けばそれだけ暇な時間の連続だ。
 非日常はそれが続けば日常に変化を遂げる。


 涼宮ハルヒと出会って早一年。俺は涼宮ハルヒという、ニヤケ面曰く神の存在というものが巻き起こす非日常のサスペンスドラマに1年間も巻き込まれたんだから、さすがに閉鎖空間が発生したらそれは非日常の分類にはいるのだろうが、ちょっとしたことは全て日常に感じるだけの順応性は発揮してきた。

 古泉が赤く輝き始めても驚かないし、朝比奈さんがお茶をこぼしても驚かないし、長門が瞬間移動しても驚かない。
 機関の人間にあいさつされても、朝比奈さん以外の未来人が手を振っても、喜緑さんが微笑んでも、日常には変わりないだろう。

 しかし、今更ながら非日常が日常となってしまったため、今までの日常が非日常に感じてしまうあたりは適応能力とは別の忘却能力あたりに特化してきたのは俺だけなのだろうか。
 なにが俺の日常なのかこのごろはよくわからなかったが、俺は一般的な生活で困った事態に陥った。






 ゴールデンウィークといえば実家へ帰省といったら語弊があるか、毎年家族全員で俺の祖母にあたる人の家へ遊びに行くことになっている。
 例年ともに妹を含む子供たちのお守りを任されるのが俺の役目であり、任期を終えると燃焼済みの廃棄物と化している。
 なんせお守りといっても、聞き分けの良くなったハルヒがたくさんいるようなもので、ハルヒのわがままは子供心を忘れていないからなんだなんて考えさせられたりもする。

 前置きが長くなったが、今年はその行事に俺は参加しない。

 しない、というか、毎年「ちゃんとおばあちゃんに顔を見せなさい」と口をすっぱく帰省を促していたおふくろが、
「今年はいいんじゃない?子供たちも大きくなってきて手も掛からなくなったし」
 なんていう、俺が帰省するのは祖母に顔をみせるためではないことを露呈したからだ。

 そこで俺はわずかばかりの金を貰い、心から両親と妹を見送ると、ゴールデンウィーク限定の一人暮らしを満喫することにした。






 一日目、二日目と谷口や国木田と連日家にきた。
 谷口の顔を見たとたんに俺の部屋に逃げ込むシャミを見送って谷口の持ち込んだ酒を飲みながら馬鹿話に花を咲かせる。

 お世辞にもきれいとは言えないリビングで見やしないテレビをつけつつ、谷口は一人でグビグビ酒をあおっている。
「谷口、そこらへんでやめたほうがいいんじゃない?」
 そうだぞ、飲みすぎて翌日に禁酒宣言をした高校生を俺は知ってるぞ。
「そんなもの知ったことか! 国木田も飲め」

 僕は遠慮しとくよ、と言う国木田を無視してコップに酒を注ぎ続ける谷口は悲壮感がただよっていた。
 国木田も俺と同様の気配を感じ取ったのか、
「ふられたの?」
 直球で谷口に聞くあたりはさすがの俺も脱帽できた。

 「女なんて」だの「俺だってなぁ」だの言いながら完全に酔っ払いと化した谷口は遠慮がちな国木田に酒を勧めるのをあきらめたのか、俺に勧めてくる。
「まったく、少しだけだぞ」
 まあ俺は国木田と違って優等生ではないので飲んでしまうのだが。



 俺と谷口が完全に出来上がって国木田が部屋の後片付けをしているころに、ふと谷口が顔をあげた。
「キョン、中学の卒アルをもってこい」
 なぜだ。
「国木田の言う、お前の変な恋人を見てみたい」
 俺には恋人なんていなかったし、確かにあいつは変な女だったが却下する。肖像権の侵害だ。
「知るか。お前が今見せなくても俺は明日にでも国木田の家に押し入ってみる。それなら今見せてもかわらないだろ」
「僕も谷口に押し入られるのは迷惑だから今見せてあげてほしいな」
 二人して俺をいじめるのか?

 ハルヒのおかげで命令されることになれている俺は仕方なく自分の部屋の机に放置されている卒アルを宅配業者さながら重い荷物を運ぶように手に取り、谷口に渡してやる。体が重い。

「この人がキョンと中の良かった佐々木さんって人だよ」
「でかしたぞ国木田。それにしてもこの佐々木って女はかわいいな。どこが変だったんだ?」
 階段の上り下りで疲れ果てた酔っ払いの俺はもはや谷口と国木田の会話につっこみを入れる余裕すらない。
「なんていうかね、全体的に変だったんだ。特に話し方が変わってるかな」
「よし、国木田。今すぐ佐々木を呼べ。幸いなことに卒アルの後ろに電話番号は書いてあった」
 個人情報保護法はどうしたんだ。それに、お前たちに女の家に電話かける度胸はあるのか?
「もしもし、佐々木さんの中学生のときの同級生だった国木田といいますが…」
 その声に重いまぶたをこじ開けると携帯電話を耳に当てている国木田の姿が…
「あっ佐々木さん?僕、国木田だけど今キョンの家にいるんだけどこれないかい?」
 本当にかけてやがる。
「それがね、キョンの両親が旅行に行ってて…」
 旅行じゃない、里帰りだ!
「じゃあ待ってるよ〜」
 まて、本当にくるのか?
「佐々木さん、くるって。じゃあ食べ物もなくなったし、軽く買出しいってくるよ」
 すまんが、俺は出掛ける気力はない。
「女がくるなら酒を飲ませてしまうのが一番だ。軽くて飲み安い酒を俺がチョイスしてやろう」

 買出しは二人に任せて俺は軽く部屋の片付けをする。
 そして、チャイムがなる。

「やあキョン、久しぶりだね。僕はまさかこのような突発的な会合に呼ばれるとは思ってなかったから久しぶりに君の家にあがるよろこびがある反面、驚愕といった感情ももっているよ」
 あいかわらずだな。国木田と、谷口っていう馬鹿なやつがいたんだが、佐々木がくるってことで買出しに言ったよ。
 見ての通り俺は軽く酔っていて正常ではないみたいなんで家で待機してるのさ。
「それは僕もそうだろうと思っていたよ。まったくキョンが酔っ払うなんて中学生のころからは想像できないな」




「ところで、だ。僕は当然ながらキミが酔っ払うところなんて見たことはない。しかし非常に興味がそそられる事象であることは既知であるはずだ」
 だからなんだ。酒の入っている頭では佐々木の言ってることなんて1割もわからんぞ。普段でも3割程度しか理解していないというのに。
「そこで、だ。どれだけ飲んだのかは知らないが君が泥酔するまで飲ませようと思う。もちろん僕が僕自身の知的欲求を満たすために」
 俺はそんな知的欲求なぞ持ち合わせてはいないしこれ以上飲む気はしない。それに欲求うんぬんを語るなら、佐々木のような女子高生に酒を飲ませて泥酔させるほうが健康な男子高校生の欲求らしいんじゃないのか?
「それなら僕も妥協しよう。僕はキミにアルコールを摂取させる。キミは僕に酒を注ぐ許可を与えよう。どうだ?これなら公平だろう」
 これから起こることは公平ではあるかもしれないが俺にはすでにある程度の酒が入っている。お前も飲むべきだ。
「おや、このコップはキョンのかい?ならば失礼して」
 俺が2口くらいしか口のつけていない、なみなみと注がれたウィスキーを一気飲みしやがった。
「酒の味と言うものはよくわからないな」
 ケロリとした顔で言った佐々木は一気飲みしたにも関わらずどこにも状態変化のステータスは現れていないように思われる。
「おかわりはあるのかい?」
 そこにある。もう勝手にしてくれ。
「キョンも次からは僕と同量の酒を飲んでもらうんだよ?」
 …頼みがある。俺が潰れたらベッドまで運んで鍵をかけてから帰ってくれ。
「了解したよ。ただし、キョンの家の鍵の隠し場所が変わっていないならね。」




















 …

 頭が痛い…

 !? 朝か?そのまま寝ちゃったのか?

「おはよう、そろそろ手をどかしてもらえるとありがたいんだけど」
 なぜ佐々木が俺のベッドで、俺と、寝てる?
「覚えていないのかい?まああの状態で覚えているほうが不思議ではあったが」
 詳しく説明をしてくれ。あの後はどうなったんだ?
「1時間くらい話をしながら飲んでたんだ。キョンはもうダメだなんて言いながら机の上にうつぶせになってしまった。
 そこで僕はキミの頼みごとを思い出して、キョンをベッドまで運ぼうとしたんだ」
 それから?
「階段を上る途中でキョンが落ちそうになってね。僕はしっかりつかまっていろと言った。そこで国木田と他一名が玄関をあけたんだ」
 たしか、うちは玄関をあけると目の前に階段があったよな?
「そのとおりだ。そこで国木田と他一名は僕とばっちり目があってしまった。国木田は何も言わなかったが他一名が『ごゆっくりぃ』なんて言いながら走って帰ったのを追いかけていったよ」 
 そうかい。谷口には口を封じておかないとな。
「それから僕はもう一度、階段から落ちるからしっかり捕まっていろ、と言ったんだ。キョンは異常なくらい僕にしがみついて離れようとしなかった。
 そして無事にベッドまで送りつけたあともそのまま僕を放さないで寝てしまった」
 なるほどね。いつからか階段から落ちることにもトラウマを抱えていたのか。
 そして、今にいたる。と?
「その通りだね。そろそろ手を離してくれるかい?僕自身は気にしないんだが、キョンの後ろにいる人はどうやら僕とキョンがくっついていることにご立腹だ」

 まさかね。そんな期待通りな展開になるはずはない。
 俺は恐る恐る後ろを振り返ると…










      

 …誰もいないじゃないか。
「おや、怖い顔に心あたりでもあったのかい?キョンは高校に入ってから充実した生活を送っているようだね」
 確かにある意味では充実した生活を送っているとも言えなくもない。実際楽しいことはたくさんあったが、もう2度と体験したくないこともある。
 同じ人に2度さされたりな。

 だけど、

「この一年は今まで一番楽しかった。充実してたな」
「そういった充実ではないよ。キョンは相変わらず鈍感なんだね。しかし無意識の敏感な部分はそれに気付いている。
 それを意図してやっているわけではないのは僕が一番知っているしね」
 何を言っているのかサッパリわからん。
「わからないのがキョンらしくていいと思う。それよりだ」
 なんだ?
「キョンは泥酔しているときにいろいろ口走っていたよ。SFチックなことからミステリーな事まで」
 ぜんぜん覚えていないな。
「妄言とも取れるが、妄言にしてはリアリティのある言い方だった。登場人物が聞いたことのある名前だしね」
 そうかい。あの未来人や宇宙人や機関の女に聞いてたんじゃないのか?
「その話とリンクする部分があったからこの話をだしたんだが、全て実話なんだね」
 願いはいつもあなたの胸にってやつだ。
「キョンもこの歳で中々味わえない事を何度もしているんだね。少しだけうらやましいよ。
 それと、キョンが今日どこかへ連れて行ってやると言っていた。迷惑かけたからおごりだ、とも。これからどこへ連れて行ってくれるんだい?」
 そんなこと言った記憶はない!
「では卒業式のときに、もし僕と1年以上再会できなかったら同様の事をしてくれると約束していた。これは忘れたとは言えない事象のはずだ」
 記憶の片隅には残っている。佐々木とは1年以内に会う予感はしてたんだが、ハルヒと出会ってそれどころじゃなかったからな。

「それならば1年越しの約束をかなえてもらうとしよう」








  僕はね、中学生のときからキョンと出掛けたいと思っていたんだ。
  塾への行き帰りとかではなくて、デートとしてね。
  あの不思議な人たちが言うように僕が神様だから
  キョンとデートすることになったのかな?






「なんか言ったか?」
「何も言っていないよ。 幻聴が聞こえるなんて苦労してるんだね。さあ行こうか」
「はいはい」
やれやれだ。