佐々木の旅行


プロローグ






 ガヤガヤという喧騒が耳に入ってきて覚醒した。
 目は未だに開く気配がないが、脳は覚醒してきた。瞼の重さは計り知れるものではなく、心地よい振動が二度寝を促している。

 そうだ、俺は新幹線に乗っているんだ。

 寝るには心地の良すぎる振動に身を任せていると、瞼の奥に眩しさを感じた。トンネルでも抜けたのだろう。
 目を見開いてみるとそこには眩い太陽を後光に一人の女性の姿が見える。

「やあキョン。どうやら起きたようだね」
 佐々木だ。完全には覚醒していない脳は体に命令をだす。起きろ、目を開け、と。
「おはよう。とはいってももうすぐ昼を過ぎるころだ。目的地にはもうすぐ着くようだから素早い準備を推奨するよ」
 口を不気味に歪めて、くくっと笑った。
「わかったよ。言い忘れていたんだが、佐々木」
「なんだい?」
「おはよう」

 佐々木は一瞬戸惑ったように目を見開いて、次に、正気か?と疑うような目を俺によこしたあとで愉快であることを表現するような笑い声をあげた。

 対面に座っている佐々木が下車の準備をしている姿を間接視野で見やりながら窓の外へ顔を向けた。まったくもっていい天気である。
「キョン。まさかキミは『死ぬにはいい天気だ』なんて言い出すのではないだろうね」
 まさか。死ぬつもりはこれっぽっちもない。これから先も当分は死ぬ予定などない。死ぬ予定どころか危機に面することもないだろうよ。
「エンターテインメント症候群に犯されているキョンへの冗談だ。」
 そうですか、と心の中で呟き、相槌も打たずに外の景色を眺める。ビルが乱立しているこの都会を見ると、地元ではない場所への無意味な感慨があふれ出した気がしないわけでもない。
「もしキョンが死んだなら僕は一つ、言いたいセリフがあるんだ」
「なんだ?」
「『綺麗な顔だろ。死んでるんだぜ、それで』」
「この顔の俺が死んでも綺麗な顔にはなりそうにないな」
 くっくっと歪んだ笑い声をノドの奥から搾り出した佐々木は、
「いや、失礼だったね。やはりキョンはキョンだ。それ以外の何者でもないことに感動すら覚えるよ」
 さて、もう到着だ。準備をしよう。












1章




 大よそ一年ぶりとなる佐々木と邂逅してから1週間ほどたった。
 佐々木はというと高校に入って1年たつのに何も変化を見受けられず、かといって俺は変化をしたかと問われればノーときっぱり断言できる。
 つまりはお互いにさしたる変化が見られないならば1年という人生のおよそ16分の1の期間を別の場所にて過ごしたところでノスタルジーに駆られることなく、まるで夏休み明けに会った友人程度の感慨を得る程度に留まった。
 もちろん佐々木との思わぬ邂逅にはうれしいという感情はあったが、それと『1年ぶり』というキーワードは当てはまらなかっただけの話だ。


「珍しく長考ですか」
 はっとして慌てて飛車を動かす。
「王手だ」
 朝比奈さんの入れてくれたお茶を一口飲む。するとどうだろう、どんなに切羽詰まった状況でも落ち着くではないか。別に切羽詰まった状況というわけではないが。

「少し考えさせてください」
 そういうと古泉はニヤケた面のまま顎に手を遣り、妙に様になった考える人へと変貌を遂げた。詰みであることは言わずに黙って考えさせてやることにする。



 今更ではあるが、もちろん時は放課後、場所は文芸部室である。
 現時点で部室にいるのは俺を入れて5人、つまり全員である。
 目の前では詰みである状況を理解していないニヤケ面の超能力者が必死で打開策を練っている。そのとなりで愛くるしい笑顔を振りまいて季節はずれの編み物をしているのは我がSOS団のメイドさんである朝比奈さんで間違いはない。
 窓の方へ目を向けるとまず目に入るのは、僅かに開いた窓から吹く風に髪をなびかせて読書にいそしんでいる長門有希という名の宇宙人。
 微動だにせずに本の世界にトリップしている長門は人形のように白く整った顔で本と対峙している。
 その隣でネットサーフィンしているであろうハルヒは、……どうやらあまり機嫌が良いとは言えない状態のようだ。ハルヒはデフォルトで不機嫌ではあるのだが、今日はどうやら不機嫌値をいつもより少し下回っているらしい。笑ってれば非常に魅力的なのにな。

 そんな変哲も無い日常が一本の電話によって激変した。着信音が部室内に鳴り響く。
 
「もしもし」
 電話口から聞き覚えのある声が俺を呼んだ。
「キョン、ちょっと涼宮さんに代わってくれないか?」
 何故俺がハルヒと一緒にいると決め付ける。確かにハルヒはいなくはないが常日頃から一緒かといわれるとそれはノート答えざるを得ないぞ?
「とりあえずだ、佐々木。理由を言え。ついでに何故ハルヒが近くにいる事を知っているのかもだ」

 俺の発した佐々木とハルヒという単語に一同が俺を見る。
「キミはSOS団という団体に所属していて毎日の放課後をその団体に従事していると言っていたじゃないか。その責任者は涼宮さんだ。ならばこの時間では一緒にいると考えるのが道理であることが伺える。」
 なるほど。
「次に理由だが、キミの高校生活に若干の興味を持ってね。キョンの主観からくる高校生活の概要は先日の邂逅で明らかになったわけだが、客観的なキョンの高校生活を聞きたくてね。それならばキョンの高校生活ことを一番知っているのは涼宮さんしかいないと思ったわけだ」
「涼宮さんなら主観を交えないでキミの高校生活をご教授願えると僕は確信しているんだ」
 何も返答せずに、しかし電話口にも、そしてハルヒにも聞こえるように言った。
「ハルヒ、佐々木がお前と話したいとよ」
 不気味、以外の形容詞が逃げ出してしまうような表情をしてハルヒは俺の携帯を分捕った。そしてそのまま部室からでていく。

 ハルヒが出て行った後も相変わらず他の視線を俺は独り占めしていた。
 誰かが口を開く前に一言だけ言っておくことにする。
「古泉、言い忘れたがそれ、詰んでるぞ」





 いくらかの時間が過ぎ去ったあとでハルヒは不気味な笑顔を妖しく輝かせて帰ってきた。ダークマターさながらのオーラを放っている。
「キョン、あんたに宿題をさずけるわ!」
 ハルヒは携帯を俺に投げると、ドカッと団長席に腰掛けた。
「何故だ」
 俺が疑問の言葉を発する事は折込済みだったようだ。
「佐々木さんにあんたの高校生活を聞かれたからあんたの情けない生活っぷりを止め処なく語ってあげたわ。それはもう明朗快活に、余すことなくね。
 語ったあとで思ったのよ。聞かれたんだからあんたの中学生活を聞いてあげるのがスジってもんじゃない?」
 どんなスジだ。
「一応礼儀として聞いたのよ。そしたら佐々木さんの口からは語れないからキョンの口から、主に修学旅行について語ってもらうといいって言われたわけ」
 ピンポイントで修学旅行に狙いを定める意図は掴みきれない。
「で、キョンは中々文才のある男だから文章にしてもらうといいって」
 それが宿題か。やれやれ、拒否権は発動できるのだろうか、ムリだろうな。
「秋まで保管しておいてまた文芸誌として出版するから気合入れて書きなさいよ!」

 佐々木の笑い声がくっくっくっと頭の中でリフレインされている気持ちだ。どうせ拒否できないならありきたりの修学旅行でもフィクションを交えて書くとするか。
「言っとくけど」
 ハルヒはニヤリと笑い、
「佐々木さんにも見せて本当かどうかチェックするから」
 と、王手飛車取り宣言をした。








2章


 サービス残業を余儀なくされたリストラ候補の社員のような気持ちでキーボードを叩く。
 年単位で過ぎ去った修学旅行の詳細など思い出せるわけもなく、スクールトリップどころかバッドトリップかましてしまいそうな鬱蒼とした気分でアルバムを開く。
 卒業アルバムではなく、個人的なアルバム。写真好きの佐々木といるうちに増えてしまった写真を眺めていると僅かずつだがあの頃が思い出せる。佐々木と撮った写真はこんなにも多かったのか。



 関東に住んでいる人は一般的に京都や奈良へ修学旅行に行くとされている。関西に所在地がある中学校のほとんどは関東、とりわけ東京を目的地としていた。
 お世辞にも都心とは言えない場所にある旅館にたどり着く。
「キョン、どうしたんだい? 浮かない顔をしているようだが」
 肩からぶら下げていた大き目のバッグを地面に下ろすと、佐々木もそれにならった。
「多少の違いはあれど、日本国内である限りたいした変化は見受けられないと嘆いていたんだ。隣町に行った小学生のときの遠足の様な気分だよ」
「その事実についてはぜひとも論文にして提出してほしいと願わないわけではないが、僕は意外とこの旅行を楽しみにしているんだよ」
 そうかい、そいつは水をさして悪かったな。
「ではまたあとで会うとしよう」

 初日のスケジュールはクラスごとに観光スポットをまわるというものだった。大型の観光バスをハイジャックさながら乗っ取り、後ろの方の窓際の席に腰掛けると、さも当然のごとく隣に座ったのは佐々木だった。
 バスがバスが走り出す。
「キョン、最初に回るところがどこだか知ってるかい?」
 いいや、残念ながら俺は旅のしおりというものには目を通してないんだ。昨晩は旅行の準備に手間取ってね。
「つまりは、知らん」
 そう告げると佐々木は口を歪め、形容しがたい笑みを浮かべて、
「これから行くところは東京タワーだ。東京タワーを観光にし、なおこの野暮ったい制服での登頂となると、いよいよもって修学旅行の学生丸出しだ」
 なら私服に着替えればいい。俺としては着替えることよりも担任が階段で上るとか言い出さない事を心のそこから願っている。ついでに言えば、最上階に着いたときに停電にでも陥ってどこかから怪獣なんて出てきてくれたらと密かに考えてたりもする。
「何度も言うようだが、キミは根っからのエンターテイメント症候群だね」

 それから佐々木は俺が眠りに着くまでの数十分間に渡って、東京タワーはテレビの電波を出す建物であること、電波が人間や他の生物に及ぼす悪影響、突然変異について語った後で、
「キミの欲望はもしかしたら満たされるかもしれない」
 とおっしゃった。


 だが、まあ当然といえば当然なのだが結局は何もなかった。むろん、そのあとで回った国会議事堂には革命家なんていなかったし皇居にどっかの兵隊が押しかけることもなかった。観光スポットを回るたびに色々なことを解説してくれる佐々木には感謝してもしきれないな。俺の頭の中には当時の消費税分くらいの割合でしか知識として残ることはなかったが。
 知識にも残らない上に、今となって思うのは記憶にもあまり残っていない。俺は何のために修学旅行へ行ったのだろうか。

 全てのスケジュールをこなしたバスは宿舎へと戻っていく。
 窓に頭をくっつけて寝ていた俺にも目を覚ますようお告げを受けた。
「キョン、着いたぞ」
 目を開けてみると、前の座席から身を乗り出した中河がニヤニヤしながら言ってくる。
「ああ」
 できるだけそっけない返事を返しておくことにした。

「眠り姫も起こしてあげろ」
 そういうと中河はさっさとバスから降りてしまった。やれやれ。
「おい、起きてるんだろ?」
 俺は俺の膝を揺すって起き上がるように促した。
「いつから気付いていたんだい?」
 膝の上で快眠していたであろう佐々木が起き上がる。多少の寝ぼけまなこに、顔に着いた接地面との跡がクッキリ写っていた。
「中河の声にピクッと反応してたからな。それよりも変な体勢で寝てたから跡着いてるぞ、耳まで真っ赤だ」
「くっくっ、見苦しいところを見せてしまったね」
 佐々木にも恥ずかしいという感情があるのか、顔を隠しながら言った。
「いや、キョンの寝顔を見ていたらついつられて寝てしまっていたようだ」
 そうかい。あくびは人にうつるというが、眠気も人にうつるんだな。
「ではバスを降りることにしよう。キョンとは明日までのお別れだ。食事は部屋で取ることになっているし、まさか一緒に風呂にはいるわけにはいかないからね」
 まったくだ。この年で性犯罪を起こす気力はない。
「では一足さきに降りさせてもらおう。ああ、キミの膝の上は非常に寝心地がよかったよ」
 くっくっとノドをならしてさっさと行ってしまった。さて、俺も降りるか。

「耳まで赤かったのは違う理由からじゃない?」
 後ろの座席から言ってきた岡本の言葉の意味はわからなかった。






3章



 二日目の朝は嫌に空が高く、雲ひとつない晴天だった。
 清々しい、以外の言葉が見つからないくらいの清々しさのなか起床した。雑魚寝しているクラスメイトも皆目を覚ましている。
「やっと起きたね。おはよう」
 もうすっかりと身支度を整えた、やけににやけた国木田がいた。
「今日は一日班行動だけど、キョンはどこか行きたいところはある?」
 もともと乗り気ではなかった俺に行きたいところなんぞあるわけはないだろう。我が班の長たる国木田よ、きっとナイスなプランを用意してるんだろう?
「まあ誰も行きたいところがなければって候補はいくつかあげといたよ」
 さすがは俺が見込んだ男だ。ならば朝食をとりながらゆっくりとそのプランを聞かせてもらおうじゃないか。その機嫌のよさそうな顔の説明もな。


 朝食は宴会室で全員でとるものだった。しぱしぱした目を擦りながら、国木田と端のほうに席を確保した。
「まずは……」
 国木田が無難としか形容できない予定地を述べている。モソモソと冷えた白米を詰め込んでいると、ふと、
「キョン、それは何のギャグだ?」
 と国木田の奥から中河の声が聞こえてきた。
「何の事だ」
 俺の疑問も当然の事だろう。飯を食っていたらギャグ扱いされたんだ。
「佐々木が照れてるぞ。今すぐ顔を洗って来い」
 まったくもって意味のわからない世界に入り込んでしまったらしい。
「中河の言っている意味ではなく確かに僕は恥ずかしさを感じる。キョン、すまないが中河の言うとおりに顔を洗ってきてはくれないだろうか。特におでこの当たりを」
 中河は爆笑している。国木田もボソっと、やっと気付いたかなんて言ってやがる。顔に落書きするなんぞ小学生のやることだ。
 しぶしぶと洗面所へ行き、顔を洗う。目の下にはクマが書いてある。頬には十字の傷を書いたらしい跡が。そして前髪を上げると、佐々木のもの、と書いてあった。
「あの野郎」
 独り言を呟く。

 ある程度予想は立っていたが、油性で書かれた落書きを消すのに手間取ってしまったため宴会場へ着いたときには食事は全て片付けられていた。
「タイムオーバーだ。朝食はあきらめたまえ」
 朝食をとらないと俺は本日一日を生きることはできん。それに心底愉快そうに笑う中河を見てると、空きっ腹もご立腹だ。
「さすがに朝食抜きじゃあキョンがかわいそうだから班行動の最初はどこかご飯食べられるところに行こうか」
 国木田の提案に佐々木はくっくっと笑い、
「僕が岡本さんには伝えておくよ」
 と言って部屋に戻ってしまった。

「僕らも行こうか」
「キョン、事故みたいなものだ、気にするな」
 中河の発言は無視して国木田について部屋に帰る。


 結局時間と資金の都合でコンビニで遅い朝食を済ませた俺は、待っていた班員たちとの班行動にしけこむことにした。
 班行動のはずなのに誰の陰謀か、いつのまにか佐々木と二人で周る事になっているのは何故なんだろうね。
「じゃあ3時に一旦集合してから宿舎へ戻るということで」
 などと言ってそさくさと行ってしまう国木田たちにできる限り精一杯の冷たい視線を送っていると、
「では僕たちも移動するとしよう」
 とのお声が掛かった。
 いきなり二人きりにされて思ったことがある。佐々木と二人という環境が普段そのままなせいか、特別な場所に来たと言う感覚が無くなってしまった気がするのである。
「ふむ。それは面白い意見だ。キョンらしいと言ったらいいのかな」
 少しうれしそうに笑いながら言う。
「それはキョンが確固たる自分を持っているからこそできる発言だね。どこにいてもキョンはキョンだという事を認識したよ。これには僕は安堵すると共に感動すら覚えるよ」
 言ってる意味が良くわからん。佐々木は「わからなくてもいいことはあるんだよ」と言って笑っていた。

「さて、どこか周りたいところはあるかい?」
 特にないな。佐々木にお任せコースだ。

 佐々木とのとりとめのない話は怠惰に、そして半永久的に続くため会話に困ることなどなかった。佐々木の選んだ観光地は、それは前言を撤回して「これぞ修学旅行だ」と叫んでも許されそうなくらいの感動をもたらせてくれる。影の名所と呼ばれていそうな奇妙な建物や観光している人を一望できる謎の建物やら。
 佐々木は、なんともない場所でさえ佐々木の解説が加わると観光名所に変わっちまうんじゃないかってくらいの解説してくれる。コイツの将来は人にモノを教える仕事が転職だな。先生と呼ばれる職業が。観光名所を作る名人のバスガイドなんていいかもしれん。
 俺がバスガイド姿の佐々木を想像していると、
「なにやら幸せそうな顔をしてるようだが、僕の顔に何かついているのかい?」
 と不気味に笑って言った。
 なんでもないさ。顔に落書きされるのは俺だけで十分だ。
「では何故僕の顔を見てにやけていたのだい?」
 言葉に詰まったので愛想笑いでごまかしておく。バスガイド姿を想像して萌えたのは内緒だ。




4章




 修学旅行だからか、いつもよりも活発に感じる佐々木に観光名所を連れまわされた俺はすでに足が棒になっていて、班員と合流して宿舎に着いたころにはもはや自分の足では歩くことすら億劫で佐々木の肩を借りている状況だった。
 何故佐々木の肩を借りているのかというと、班で一番力があるだろう中河がこの日一番の笑顔で「断るっ」と明確に拒否されてしまい、国木田にいたっては俺が頼む前に拒否を宣言しやがった。そこで俺が口癖を紡ごうとしたら佐々木という名の怪盗が俺の大切なセリフを盗み、
「やれやれ、ってところかい?ならば僕の肩を借りるがいい」
 などと言い出した。
 もちろん、佐々木がどうこうではなく、女に肩を借りるのはなんともみっともなく感じたため拒否を表していたんだが、さすがに疲労は俺の許容値をはるかに超えていたためなし崩し的にお世話になっているというわけだ。

「すまんな、佐々木。今日は風呂に入ったら騒がないでゆっくり寝ることにするよ」
 そう言うと佐々木はノドの奥からくっくっと笑い、何も言わずに目線だけで気にすることはないと伝えてきた。
「キョン、先輩から聞いたんだが今日は肝試しが行われるぞ」
 佐々木の肩からの離脱を図っているとふいに中河が話しかけてきた。
「まあすでに佐々木とくっついているキョンには関係ないだろうけどな」
 佐々木は関係ないだろう。それに俺は肝試しにはあまり興味がない。やれと言われればやらなくもないがやらなくていいならやらん。
「でも、佐々木はキョンと行きたそうな顔をしてるぞ」
 確かに、一瞬見た佐々木の顔は行きたそうに見えなくもなかった。
「行きたいのか?」
 佐々木は一瞬顔を翳らせ、返答に困った表情をする。これは行きたい、のサインか?
「いや、違うな。……そうだ。なんか行きたくなってきたから一緒に行くか?ムリにとは言わないが」
 助けになるかわからない船をだしてやると佐々木は、
「そうだね、せっかくの旅行だ。イベントは全て参加したいところだ」
 と参加表明したため、疲れた体にムチを打っての強行軍が可決された。






 中学生の肝試し、しかも修学旅行中だというのに開始は午前1時という深夜の時間域に行われ、本当に人は集まるのかと疑心暗鬼になりながら佐々木と集合場所へ行くと、30人ほどの人の塊があった。深夜の公園に。
 この肝試しというのは運動部同士での話し合いで毎年実行委員的なものがつくられ、そいつらが裏方に徹するのだという。つまりは多少の不可思議現象は人工によるものがこの時点でほぼ確定している。また、もちろんこんな深夜に宿舎から外出するなんて教師陣は認めないだろうことからこれだけ大掛かりなイベントにも関わらず非公認であることさえ伺える。この肝試しにおいて一番の驚愕すべきポイントは、何を基準にしてだかはまったくわからないが、
「優勝者には、空き部屋とカップルの称号を与えます!!」
 だそうだ。

 最終的には50人ほど集まり、裏方も合わせると学年の3分の2程度の人数は集まっているのではというほどの規模での開催となった。
 俺は佐々木と受付のようなものを済ませ、ゼッケンを受け取った。
「キョン、気付いているかい?」
 ゼッケンを付け終えた佐々木が不意に俺の袖口を摘む。
「何をだ?」
「実は大半は参加者ではなく、観客なんだ。そして参加しない人たちは一様になんらかのプリントのようなものを持っている。」
 何が言いたいのかサッパリわからん。
「つまり、だ。優勝者には、とさっき言っていたがそれはおそらく観客のアンケートによって決められるだろう」
 なんだ、優勝したかったのか。
「でるからには優勝を狙うのが常だろう。そのためにはみんなの前で僕がキャーキャー騒げばポイントアップかな?」
 意外性は十分だろうぜ。それより俺は正直、今すぐにでも床に入って眠りたいぜ。

 肝試しのルールは簡単で、散策路をまっすぐ行くと右手にベンチがあって、そこに座る。すると裏方がでてくるので、記念写真を一枚撮られる。ポラで撮るのですぐできるから、それを持って帰ってくるといったものだ。そこに心霊写真が移ったら高ポイントが付加されるというのは裏方の中河に聞いた話だ。
 待ってる間に聞こえてくる悲鳴を聞きながら、散策路が直線ではないことや意外と悪路である事を想像していると、佐々木の様子がおかしいことに気がついた。
「佐々木、大丈夫か?」
「大丈夫だ、キョン。心配はいらないよ。それよりも、もうすぐ僕たちの出番だ。準備をしよう」
 準備ってったって何にもすることはないんだけどな。
 
 7番のゼッケンをつけた俺と佐々木がスタートラインに着くと、中河が神妙な顔つきになり、自らの顔を下からライトアップして言った。
「この公園、マジででるらしいぞ」
 瞬間、隣で小さく悲鳴のようなものが聞こえた気がした。無論佐々木しかいないわけである。
 なるほど、さっき佐々木の様子がおかしかったのは、佐々木はこういうのが苦手だからか。佐々木にも怖いものがあることになんか妙にしっくりきてしまった。
「マジででるらしいぞ」
 中河は何故か同じ事を2度言ったあと、俺たちをスタートラインから追い出した。








5章







 高鳴る鼓動がここまで聞こえてきそうなほど緊張した面持ちの佐々木を引き連れて肝試しはスタートした。
 ほどほどの明るかったスタートラインから数歩踏み出すと、急に木や草が生い茂り、月明かりは乱立する樹木にかき消されて歩けばあるくほど暗くなってくる。
 暗さと妙な静けさには肝試し特有の雰囲気を感じさせるが、雰囲気以外では幽霊のでそうな感じはしない気がした。
「キョン、歩くのが早い気がするんだ。僕はこれでも一応性別は女性に分類される、気を使ってくれるとありがたい」
 ちょこんと掴んだシャツの裾を控えめに引っ張りながら佐々木が言ってきた。
「すまん。なんか全然怖さを感じられなくてな」
 ついつい足が進んでしまった、とは言えなかった。首だけを後ろに回してシャツの裾を掴んでる佐々木を見ると、今にも崩れ落ちそうなほど青い顔をした佐々木が俺の目に映っていたから。
「大丈夫か?佐々木」
 佐々木は寝違えて首が動かなくなったようなぎこちなさに、少し申し訳のなさを混ぜた表情で言った。
「僕は幽霊とやらはまったく怖くないのだが、キミのあるくペースは速すぎる。もう少し遅く歩いてもらえるかな?」
 強がっているのはいくら愚鈍な俺でもわかる。ならば親友のためにも気付かないふりして佐々木のペースに合わせてやろう。
「なら、佐々木が先を歩くか?そうすりゃ俺はお前のペースに合わせやすい」
「!! なっ……」
 驚いた表情と怒った表情と恥ずかしそうな表情と、少し悲しそうな表情を混ぜたらこんな顔になるのだろうか。
「冗談だ」
 俺は佐々木の冷たい左手を取って、並んで歩き出した。

 ところで今更ではあるが、スタートラインからここまで歩く間に俺はクラスメートと思われる人を数人確認している。
 木の上にいたり、草むらに潜んでいたり。もちろん佐々木に言うとこの様子じゃあ佐々木は心臓発作でも起こしそうな勢いなので言わないが、きっと帰りにでもなにか仕掛けてくるだろう。ならば仕掛けてきたときに佐々木が暴走しないように、と俺は握った右手を握り締めた。
 

 謎の動物の鳴き声の聞こえる森林を無言で歩くこと数分、冷たかった佐々木の手が俺の体温を奪って正常な温度を示している頃合に目的地と思われる場所に到着した。スタートからは距離にしたら100メートルもないだろう。だが深夜の薄暗さに木の根が浮き出ている砂利道、ついでに極度に緊張している佐々木を考慮すれば中々の速さで到着したのではないか。
 少し開けた場所にポツンと、まるで今日のためだけに設置されたようなベンチが置いてあった。
 背景にある建物はおそらく寺だろう、異様な雰囲気をだしていやがる。
「さて、座ったらきっと誰かが寺から飛び出してくるんだろうな。まあ座るか」
 右手を引っ張り佐々木を促すと佐々木は頷き、相変わらず緊張を前面に押し出している。

 ベンチは掃除が行き届いていて、座ることを躊躇う理由はなかった。
 二人で腰掛けると、予想通り寺から人が飛び出してきた。
 ガゴン、ガサガサ、と音を立てて現れた誰かが目の前に到着し、
「ひゃ・・・」

  カシャッ

 飛び出してきた瞬間フラッシュが視界を遮った。この間およそ2秒ほどだろうか。良くない手際に助けられてか俺は対して驚くことはなかったのだが、俺の右側にくっついて離れない佐々木ははカタカタと震えていた。

「じゃあ、これ持ってスタートに帰ってね」
 おそらく岡本と呼ばれる女生徒の声でそう言われ、まだ真っ黒な写真を受け取る。
 岡本は渡してすぐに寺の裏側に消えていった。おそらく裏側に本部があるのだろう。肝試しって試す側のほうが怖いんじゃないかって思えるね。

「行くぞ」
 短く佐々木に告げ、立ち上がる。俺が立ち上がると俺に引っ付いてる佐々木も必然と立ち上がる形になって、
「そうだね。一刻も早くここを出よう」
 とおっしゃった。
 ようやく上げた佐々木の顔を見ると、涙目を強気にギラつかせて帰り道をにらんでいる。

 佐々木は俺からまだ真っ黒な写真を奪うと、行きと違って何故か強気な態度で俺を引っ張りずんずん進んでいく。
 有無を言わせない態度でずんずん突き進んでいく佐々木に引っ張られるだけの俺。帰り道も半ばに入ったころ。俺は油断していた。

「ギャーーーース!!!」
 奇妙な叫び声と共に木の陰から人が飛び出してきた。
 俺は一瞬ひるんだがすぐに正気を取り戻した。無防備だった佐々木は今、俺の胸でチワワのごとく震えている。

「なんだ、キョンはあんまりびびんないのな」
 来るときに人が隠れているのは確認済みだったからな。
「まあ驚かすのは俺だけだ。あとは平穏に帰れるさ」
 ならばクラスメイトの言うことを信じることにしよう。


 お化け役の友人が去ったあとも佐々木は動かなかった。
 待つこと数秒、佐々木は顔を上げて涙目のまま言った。

「キョン、すまないが、腰が、抜けた、みたいだ」

 やれやれ、そこまで幽霊とやらが怖いならムリに参加なんてしなければよかったのに。
 俺は旅先で寝てしまった妹をつれて帰る感覚でその場にしゃがんで佐々木を背中に促した。佐々木は力なく俺の背中に乗り、握っていた手をほどくと立ち上がり、出立した。
 よほど怖いのか、それとも恥ずかしかったのか、佐々木は腕に力を込め、必然的に俺の首が絞まる状況で山道を歩く。
 もともとたいした距離じゃなかったからか、早歩きで森を抜けるとそこには大量のフラッシュと共にクラスメイトが出迎えてくれた。
 何故かみんな祝福の言葉を投げかけてくれる。芸能人になった気分にさせるこの大量のフラッシュはやむ気配を見せない。

 人ごみを掻き分けて中河が現れた。やけにニコニコしてやがる。
「おめでとうと言うべきかな。キョン、佐々木。お前たちが今夜のベストカップルに選ばれた」
 なるほど、それで祝福のセリフがオンパレードだったのか。
「ついてはこれが商品の部屋のカギだ。そのまま佐々木を連れてってやってくれ」
 謎の笑みをこぼした中河は、これで全てが終わったといわんばかりにニヤリと笑うと、さっさとその場を去ってしまった。つられて集まっていた人たちも全員帰還する。まったく、やれやれだ。


「さて佐々木、どうするか」