ハイキング


 春の日差しから夏の日差しへと変わる途中のこの季節、俺たちSOS団は現在山の中を歩いていたりする。
 なぜ俺たちは折角の休日を利用してこんな所に来ているのかと言えば、そんなこと聞かなくても解るだろ? こんなこといきなり思いつく奴は一人しかいない。そう、SOS団団長涼宮ハルヒの所業に他ならない。
 ハルヒいわく、

『今回の不思議探索は山に行くわよっ。
 いっつも街ばかりだから、山にある不思議は油断してると思うのよ。
 そこを狙って行く訳。
 解った、キョン?』

 と、いうことらしい。
 まったく、いつもいつも突然おかしな事を言い出す奴だ。
 こんな事があったんだ、言っても良いだろ?
 ・・・やれやれ。




            ハイキング


 もうすでに夏の日差しなんじゃないかと疑うほどの強い日差しが降り注ぐ中、蟻の行進よろしく一列になって山の頂上を目指すべく山道を歩きつづけている。
 山を登り始めてからすでに一時間ほど経過しただろうか、ここまで休憩もなしに歩き続けているせいか俺の息はあがり始めているし、朝比奈さんなんかは明らかに疲れを見せている。
 古泉の奴は少し汗をかいているように見えるだけだが、こいつのポーカーフェイスは今に始まった事ではないので心配するだけ損だろう。
 ハルヒと長門は言うまでもないだろう。
 疲れる素振りなどまったくなしっ。長門はいつもの無表情で黙々と歩を進めているし、ハルヒは途中で拾った木の棒をぶんぶんと振り回しながら歩いている。
 こんなに歩いているのにどうしてそんだけ元気かねこいつらは。
 長門の場合は不可識な力を使っているんだろうが、ハルヒの奴はどうなってるんだ?
 まぁ、あいつの場合底なしの体力があると思うのが妥当なとこだろう。なんて事を考えていると、
 
「キョン、なんか余計な事考えてない?
 あんたから、不穏な気配がするんだけど」

 お前は人の心が読めるのかと突っ込みそうになる事をハルヒが言ってきた。

「気のせいだろ。暑くて仕方ないだけだ」

 そう言って誤魔化しておく。
 ・・・それにしても本当に暑いな・・・目の前が霞んでくるみたいだぜ。気持ち景色が陽炎のように揺らいでいる気がする。
 そこまで気温は上がっていないような気がするのだが、確かに先にある木がぼやけて見えている。
 ん、おかしいな・・・辺りが暗くなってきてる気がする・・・

「キョンッ!!」

 ハルヒの叫び声を最後に俺の意識はブラックアウトしていった。



 額に冷やりとした物が乗っている気がする。
 手を伸ばしてそれに触れてみようとするが、何故だか身体が思い通りに動かず苦労する。
 やっとの事で触れて確かめてみると、それは濡れたハンカチだった。

「やっと起きたわね、バカキョン」

 声のしたほうに視線を向けてみるとハルヒが怒ったような、呆れているような、それでいて安心したような顔をして立っていた。
 なんでハルヒがここにいるんだ?
 そもそもなんで俺はこんな所で寝てるんだ?
 少し混乱しながらハルヒに聞いてみた。

「あんた、何も覚えてないの?」

 覚えてないと言うか、記憶に無いと言うか、とにかく何があったのか説明してくれると助かるのだが。

「皆で山に不思議探索に来てた事も忘れたっての?」

「そう言えばそうだったな。
 それで俺がここで横になっている状況はどういう事なんだ?」

 俺がそう言うと明らかに呆れた顔をして、

「はぁ、ホントに何も覚えてない訳? あっきれた奴ねっ」

 なんて事を言いやがった。

「良い? あんたは登ってる最中にいきなり倒れたの。
 もう少しで道じゃない所を転がり落ちるとこだったんだからねっ!?」

 俺が? 倒れた?

「運良くあたしがあんたを受け止められて、安全なとこまで皆で運んで寝かせたの。
 んで、ようやく目を覚ましたって訳」

 全然覚えてない。
 ハルヒと何事か話していた所までは思い出してきたんだが、その先がさっぱりだ。

「有希が言うには軽い日射病みたいなもんらしいわ。
 ともかく、もう少しで古泉君たちが帰ってくると思うから、あんたはまだ寝てなさい」

 言われて気が付いた。古泉だけではなく朝比奈さんと長門の姿も近くにないようだった。

「ハルヒ。他の三人は何処に行ったんだ?」

「この先少し登ったとこに山荘があるのよ。
 そこに冷やせる物と飲み物を貰いに行ってるわ」

 どうやら皆に迷惑をかけっぱなしのようだ。
 下山したら何かお礼をしなきゃならんな。
 そんな事を考えているとハルヒが手を伸ばして俺の顔に触れてきた。

「大分、落ち着いてきたみたいね」

 そう言って、安心したような笑顔を見せる。
 何が落ち着いてきたのか解らないが、こいつにもかなり心配けちまったようだな。

「心配かけたみたいだな、スマン・・・」

 俺が素直に謝ると、ハルヒの奴は一瞬きょとんとした顔になりまじまじと俺の顔を見てきた。
 なんだ、俺が素直に謝るのがそんなにおかしいのか?
 相変わらず失礼な奴だ、と思っているとハルヒの表情がみるみるうちに変わっていった。
 眼にはうっすらと涙まで浮かんでいる。

「な!? ハルヒ!?」

 正直驚いた。あのハルヒが俺の前で泣きそうになっているのだ。
 何が起きても泣きそうに無いと思っていたハルヒが眼に涙を浮かべて俯いてるのだから、驚くなという方が無理な相談だろ。

「・・・・・・ホントに心配したんだから・・・・・・団長であるあたしに断りも無く倒れたりするんじゃないわよ・・・・・・」

 声が少し震えている。
 ハルヒの声を聞いて俺の中でいらつきにも似た感情が出来上がる。
 こいつをこんなに不安にさせたのは誰だ?
 こいつにこんな顔させたのは誰だ?
 こいつを泣かせたのは誰だ?
 ああ、解ってる。全部俺の責任さ。
 俺がハルヒをこんなに不安にさせたんだし、こんな表情にさせているし、涙まで流させてしまった。
 情けないにもほどがある。
 今ほど自分自身に腹が立った事は無い。

「ハルヒ」

 俺はゆっくりと身体を起こすと俯いたままのハルヒの方に向き直る。
 そして自然に(そう自然にだ)ハルヒのことを抱きしめていた。

「!? キョン?」

 驚いたような声をハルヒが上げる。
 そりゃそうだろう。いきなり訳も解らない内に俺に抱きしめられているのだから。
 だけど、今はこの腕の中からこいつを放す気は無い。
 俺自身こんな行動に出た自分の身体に"何故だ"と問い質したい気分なのだが、そんな事考えるだけ無駄な上に答えが解りきっている問題を、今更提示する必要性は皆無に等しい物であり、また俺がそこまで意地を張り通すのは馬鹿げた行動である事を認識していたからだ。

「本当にすまなかった。
 俺が気を付けていれば心配を掛けずに済んだのに・・・
 お前を不安にさせて泣かせる事も無かったのに・・・ゴメンな」

「・・・う・・・ぐす・・・許さないんだから・・・あたしを泣かせた事・・・・・・」

「どんな罰でも受けるさ。
 ハルヒが許してくれるまで何度でもな」

「・・・・・・・・・」

 俺の言葉にハルヒは黙り込んでしまった。
 やっぱり罰を受けるだけじゃ許してもらえないか。

「・・・そ、それじゃぁ、早速受けてもらうわよ・・・」

 ん、という事は罰を受ければ許してくれるって事か。
 ハルヒの言葉に自然と安堵の溜息が漏れる。

「な、なんで溜息なんて吐くのよ!?
 ふん、良いわよ、そんな態度取るなら許してやんないんだから!?」

 さっきまでのしおらしいハルヒは何処へやら、俺の腕の中で暴れるハルヒはいつものハルヒに戻りつつある。
 そのことについてはすごく嬉しいのだが、このままでは許してもらえなくなりそうなので弁解しておく。

「別にお前の言葉を聞いて溜息を吐いたわけじゃない。
 許してもらえると思って安心して出てきちまったんだ」

 暴れるハルヒを優しく抱きとめながら耳元で呟く。

「そ、そそそれならいいのよ、うん・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・ハルヒ」

「な、なにっ!? キョン!」

「待ってるんだが」

「な、なにを?」

 なにをって・・・・・・

「ハルヒが言う罰を俺は待ってるんだがな」

 そう言うとこれでもかというくらい顔を真っ赤に染め、下から上目で睨んでくる。
 う、なんか怖いというよりも、か、かわいいな・・・

「一回しか言わないからね。
 聞き逃したりしたら絶対に許さないんだからねっ!」

 ああ、解ってるよ。と頷く事で返事にしておく。

「あ、あんたに与える罰は一つだけよっ!
 い、い、言うわよっ! 聞いた後で聞かなかった事にするなんて出来ないわよ!?」

 言う事を躊躇っているように見える。
 こいつが何を言いたいのかうすうす解ってきていた。そして躊躇っている理由も。
 このままで良いのか、と聞かれれば答えは決まっている。
 ハルヒを抱きしめている力を強くする。

「ハルヒ・・・・・・好きだ・・・・・・」

「・・・えっ・・・?」

「俺は涼宮ハルヒが好きだ。
 これからもずっと傍に居させてくれないか?」

 俺の気持ち。心からの真実。偽りの無い言葉。
 どんな言葉を被せてみても言えることは一つだけ。

「お前を泣かせちまってから気付いた。
 俺はずっとハルヒの事が好きだったんだ」

「・・・え、あれ? ウソ、でも、今、確かに・・・」

「聞き間違いでも何でもないぞ。
 何度でも言ってやる。好きだ、ハルヒ」 

 言い終わるとハルヒは俺の胸に顔をうずめてきた。
 その頭を優しく撫でる。

「なんで、あんたが先に言っちゃうのよ・・・」

 顔をうずめているせいか声がくぐもって聞こえる。

「なんでって、やっぱりこういうものは男から言うもんだと思ってな」

「なによそれ、訳解んないわよ・・・」

 答えは解っているつもりなんだが、やっぱり聞いておきたいよな。

「ハルヒ、また、待っているんだが」

「言わなきゃ解んない?」

 子供が意地悪な事を言う時のような声の色。

「ちゃんと言葉にして聞いておかないと落ち着かないんでな」

 俺もそれに習う。

「ふふ、仕方ないわね。
 一回しか言わないからちゃんと聞きなさいよ」

 ゆっくりと顔を上げ俺の目を真っ直ぐに見つめる。
 その顔に浮かぶのは満面の笑顔。
 ハルヒの小さな唇から紡がれた言葉は・・・・・・





 すっかり夏の日差しへと変貌を遂げた太陽が無駄に暑さをばらまくようになってから、どれくらいの日数が経過したのか解らなくなってきている今日この頃。
 『SOS団inハイキング』(俺命名)から無事生還してから一ヶ月ほどの時間が流れていた。
 この一月特に変わった事もなく、ただゆるゆると時間は流れていた。
 そして今月に入ってから早くも夏休みの予定を頭の中にちらほらと立て始めている暢気な脳を獲得している。
 今年もSOS団の夏季合宿は行う予定で、古泉の奴がこの時期からなにやら企んでいるようだ。まったくご苦労な事だな。
 それとは別に俺には考えなければならない特別な予定がある。
 それが何かはあえて語らないが、想像はつくだろ?
 さて、今年の夏は例年よりも暑くて楽しいものになるだろう。
 あいつがいて隣で笑ってくれてるだけで俺も楽しい気持ちになれるんだからな。

「キョン、早く部室に行くわよっ」

 俺の手を取り歩き出す。
 いつの間にかHRも終わっていて教室の中は喧騒に包まれていた。
 考え事をしていると時間の経過が解らなくなるというのは本当だな。全然気付かなかったぜ。
 ハルヒに手を引かれるまま歩く。
 少し歩いてから引かれていた手を離し今度は軽く手を繋ぐ。
 部室までの短い距離。
 その道が俺達にとって大切な時間の一つになっていた。
 あちらこちらで聞こえる校内特有の喧騒の中を歩いていく。
 ただ、それだけなのに何にも変えられない特別な空間。

「ハルヒ、今度の日曜、空けとけよな」

 夏の太陽よりも輝いている愛しい人に言葉を向ける。

「解ってるわよ。
 でも、前日は不思議探索するからね」

 いつもより輝いて見える笑顔で答えてくれる。
 さあて、夏休みの事ばかりではなく、目の前の予定からこなしていく事にしますか。