長門有希の勉強


 師匠が走り出す忙しい季節に、布団からでることの億劫さを知らない妹にボディプレスを食らった朝、最初に貰った言葉は、
「キョンくんまた雪だよ〜」
 との妹のうれしそうなお言葉だった。
 雪が深々と降ることに妹は小学生らしく喜び、俺は高校生らしく憂いた。雪が降ると日常生活で浪費する体力は2倍にも3倍にもなり、それは翌日に筋肉痛とった症状と共に表面化するのが毎年の常だったからだ。
「何でそんなに疲れてるの?」
 妹の問いに、思考を前日まで巡らせる。そういえば昨日も雪降ってたな。






 雪が軽く積もった坂道を登る登校のときに、足を滑らせないように気を使ったせいか、滑って転んでいた谷口を助けたせいかは知らないが、授業が始まることには体力ゲージは限りなく0に近い数値をたたき出していた。
 俺の体は睡眠を要求してきて、脳は満場一致で採択したため本日の授業は体が回復するまでの無期休業が決定された。
 睡眠学習だと言い訳をすることで良心の呵責に耐えたと実感するころには深い眠りに入っていて、外部との通信は完全に遮断された。

「キョン! 起きなさい!」
 俺は寝ぼけ眼で起き、後ろの席を向いた。後ろの席にいるのはもちろんハルヒで、いつかのような笑顔でこっちを見ていた。こんな顔をしてるときは俺にとってはろくなことがない。

「いいこと思いついたわ!」
 やっぱり。
「何だ?」
「雪合戦よ!!」


 雪合戦か。疲れることは間違いないが、まあ面白そうだしいいだろう。ほどほどに体力も回復していることだしな。
 了承するとハルヒは俺の手を引っ張りすぐに部室に向かった。途中で気がついたんだが、俺が起きたときには授業は全て終わっていたらしい。部室へ向かうまで気付かなかった俺は本当に何のために学校へきてるんだろうと思う。


 轟音を鳴り響かせてハルヒが部室のドアを開けると、当然のことながらSOS団に所属する全員がそろっていた。
「今日は雪合戦をします!異論反論は戦が終わってから聞きます!以上!それではチーム決めをします」

 ハルヒの中で今日の予定は雪が降っていた時点で決定してたらしく、それを証明するかのようにこの学校では決して手に入らない爪楊枝を人数分差し出してきた。
 まず朝比奈さんが色つきを引いた。この時点で俺の目指すところは色つき爪楊枝に絞られた。続いて古泉が普通の爪楊枝を引いた。長門が間髪を開けずに引くと、色が付いているのは確認できた。
 この時点で俺とハルヒが同じチームになることが無くなり多少の安堵は感じたが、何としても古泉と同じチームだけは避けなくてはならない。俺の精神力じゃあ朝比奈さんや長門に雪だまをぶつけるなんてできそうにないからな。

 意を決して引くと、見事なまでに真っ赤に染まった爪楊枝が出てきた。心底の安堵を浮かべていると、口を尖らせたハルヒが
「負けたチームは勝ったチームのいう事を聞くのよ!!」
 と叫んだ。




 学校から程近い、大き目の公園での戦いとなった。そこそこの自然が残されていて、ある程度の木が乱立しているため雪合戦には好都合な場所だ。
 公園の敷地内に入ってすぐ、細かいルールを決めることなく戦いは始まった。開戦の合図はハルヒの投げた雪球が俺にあたったことだった。

 始球式で投げられた雪を払っていると、目の前で恐るべき量の雪をハルヒに投げられた朝比奈さんが早々のダウンを決めた。雪を払い終えた俺は朝比奈さんに俺の着ていた学校指定のやぼったいコートを着せて避難させると、なんとなく心にエンジンがかかってきた。

 遠くで長門とやりあっているハルヒを確認して、俺は古泉に戦いを挑む。お互い一定の距離を保った木に隠れて雪球の投げあいをする。憎しみを込めて硬く握った雪球を古泉の顔をめがけて一心不乱に投げ続けていると、
「キョンくん、あぶないです」
 と朝比奈さんの声が聞こえた。
 振り返るとハルヒが投球モーションに入っているのが見えた。

 雪球がゆっくりと俺に近づいてくる。ダメだ、よけられない。顔面目掛けて飛んでくる巨大な雪球を含む風景の全てがスローモーションに見える。
 体は動かない、中に石が入ってたら死ぬな。そんなことを考えていると、雪球がはじけとんだ。


「あなたは私が守る」

「長門、お前か。ありがとう助かったぞ」
 長門に近づいて言う。でもな、インチキはダメだぞ。
「あなたの言うインチキはしていない。涼宮ハルヒの投げた雪玉を狙って投げただけ」
 普通は当たらないんだがな、と思ったが、ハルヒや長門クラスの超人なら当てても違和感ない気がする。

「とりあえず古泉をやっつけるぞ!」
 長門にそう言って、既にある程度雪まみれの古泉に特攻した。

 ハルヒはちょっと離れた所から投げてきている。古泉は完全に俺狙いできている。ニヤケ面のジェントルメンは女の子を狙わないみたいだ。
 俺は走りながら雪を拾っては投げ、拾っては投げを繰り返し古泉にどんどん近づいて行く。長門は古泉が投球動作に入った瞬間を狙って当てている。お陰で俺は古泉の攻撃を避けることなんて考えないで突っ込める。
 そうして古泉を追い詰めた俺は、長門と共に古泉を雪だるまにするべく雪を投げる、というよりは雪をぶっ掛けている。
「参りましたよ、お二人が本気になると僕にはどうしようもありません」
 古泉の降参の声を聞いて俺は、
「じゃあ負けたお前は罰ゲームの先払いとして朝比奈さんに暖かい飲み物を買って来てやれ!」
 と言って、ハルヒの攻略法を長門と考える。

 ハルヒは決して参ったとは言わない。しかし明確なルールを決めてなかったため、参ったと言わす以外にはどうしたら勝ちなのかわからない。
「ならば完膚なきまでに雪まみれにする」
 長門も負けん気をだしていた。ハルヒの攻撃を避けながら俺は木の影に隠れる。とりあえず俺がハルヒの攻撃を喰らわなければ長門はもっと自由に動けるだろうとの考えだ。
 もちろん俺も隠れながらハルヒに向かって雪を投げている。長門はハルヒを挟んで反対側に移動したため、ハルヒは挟み撃ちを受けている格好だ。

 ハルヒはこのままだと不利だと悟ったのか、俺の投げる雪球を避けることもせずにこっちにつっこんできた。逃げようと焦った俺は、
「うおっ」
 情けない声と共に足を滑らせて転んでしまった。
 痛みに顔を顰めつつ上を見上げると、ハルヒは俺の事を見下す形でニヤリと笑っていた。
「まて、参った。降参だ」
 俺の白旗にハルヒは無情にも持っていた雪球を俺に直撃させると、
「どりゃー!」
 と俺の後ろの木を蹴った。その瞬間、大量の雪が木の枝からすべり落ちてきて、俺は一瞬にして雪に埋もれてしまった。
「これであんたは脱落ね。あとは有希だけね」
 降参したのにとどめを刺すなよと文句を言ってみる。

 長門はいつの間にか俺の近くまできていて、ハルヒが戦闘態勢に入った瞬間に降参宣言をした。
「ちょっと! これからがいい所じゃない!何で降参するのよ!」
 ハルヒの憤りもわからないでもない。俺もハルヒと長門の戦いを見てみたいと思った。

「彼の体温が著しく低下している。これ以上戦闘を続ける事は彼にとって危険」
 平坦な声で言うと、長門は俺を雪の中から出してくれた。ハルヒはやるせない表情ながらも一応納得してくれたのか、
「しょうがないわね! でもあんたたちの負けだからね」
 と言い、湯気の立つ飲み物を飲んでる朝比奈さんたちの避難する場所へ向かった。
「長門、ありがとな」
「いい。それより、あなたの体温の低下は著しい。このままでは危険」
 そうかもな。さっさとあっちに行って暖かい飲み物を分けてもらおうぜ。
「そう」



 避難所にたどり着いて古泉に暖かい飲み物を請求する。
「残念ですが、涼宮さんが残りの飲み物を全て飲んでしまわれてもうないんですよ」
「そうよ!勝ったのはあたしたちなんだから商品としてあんたの分は全部飲んじゃったわ」
 絶句という言葉がきっとこのときの俺には丁度良かったのだろうか。凍えた体に絶望を刷り込まれて愕然としていると、少し離れたところにいた長門が近寄ってきて、急に俺にしがみついてきた。

「な、長門?」
 俺の声に反応してハルヒ以下ベンチに座っていた3人がこっちを向いた。
「何してるのよ、有希!?」
 ハルヒは不機嫌そのものの表情を前面に押し出しながら長門に詰め寄る。いや、俺に詰め寄っているのか。

「彼の体温は低下しすぎている。このままでは体調を崩す可能性が危惧されるので体温の上昇を図っている」
 なんでもないように言う。
「何を言ってるの?」
「俺の体温が低すぎて風邪引きそうだから暖めてくれてるらしい」
「そんなことわかってるわよっ!」
 わかってるなら聞くな。

 ハルヒは少しの戸惑いを見せたあと、急に我に帰ったのか、何かを思いついた表情で言った。
「しょうがないわね、あたしが暖めてあげるから有希はどきなさい!」
「わたしと彼は同じチーム。よってわたしが暖めるのは必然」
「あたしが雪をぶっかけたからキョンは体温が低下したんでしょ? ならあたしの責任よ!それに、敗者は勝者のいう事を聞くべきよ!」

 何故か言い争いを始めた二人を目の前にして、俺は早く風呂に入りたいな、なんて考えていた。



「それで、結局中々帰宅することは叶わなかった俺は風邪を引いたらしく、非常にだるいのだ」
 妹にそう説明してやると、
「そういえばハルにゃんと有希ちゃんがお見舞いにきてるよー」
 と言った。
 妹よ、そういうことは早く言え。