長門有希の記憶


 粉雪の舞い散る学年末のひと時は今年一年の反省や来年への抱負を考えさせられる、ある意味での感傷的な季節である。学生という身分の者にとっては最後の一仕事である学年末試験が控えており、決して素行のよくない俺としては進級という言葉に一抹の不安を感じていないと言ったらウソになる、まさに師も走る季節のことである。
 高校に入学してからというものまともに勉学に励んだ形跡のない俺の成績は優等生とは言えなくとも劣等性とは言えるんじゃないかという飛行絵図を描いている。この成績が急上昇するなんてミサイル弾道を計算するよりも不可能に近いことは間違いがない。


 非公認の組織であるSOS団に所属している者達すべてにとって試験期間は部活動停止という処置が施されることなどあるわけもない。例外を除いて高い位置での成績を保持しているからかもしれないが、その唯一の低空飛行を続ける俺にとっては危機以外のなにものでもなかった。
 かといって部活、もとい団活において何をする、というわけではないので俺は文芸部室に律儀に集合しつつも勉学を繰り広げているのである。

 この部室にいる人の中で、俺という例外を除いた全員が優秀な人材なため、理解に苦しむ数式や古文・英文の文法や、暗記という苦痛でしかない様々な科目の単語を強制的に脳に刷り込んでくれる。天才という言葉に縁がない俺にとっては勉強はあくまで苦痛でしかないのだが、苦痛を和らげてくれる教師代わりのこの部室の住人の教えは柔らかく、ある意味では勉強に適している空間である。

「キョンくん、がんばってますね。はいどうぞ、お茶です」
 このように疲れた体には最高の甘いお茶を入れてくれるプリティなメイドさんも常備されているからな。



 朝比奈さん特性の甘露なお茶を飲んでいると、ハルヒが突然団長席から立ち上がった。程よい静寂の中に響いた音は以外にも盛大で、全員がハルヒに注目した。
「さて明日から試験が始まるわけですが、諸君には課題を出したいと思います」
 また妙な演説を始めやがった。
「不思議を発見するためには不思議を不思議と認識するための知識及び理解力が必要なのです。そこで知識を増やす第一歩として、各クラスにおいて平均点以上の数字を叩き出すことを課題にします。わかった?キョン」
 真冬なのに真夏の太陽のような笑顔を俺に向けた。急激な温度変化に一瞬戸惑ったが、一応聞いておかねばならんことがある。答えはわかりきっているが。 「なぜ俺だけを名指しなんだ?」
「あんただけが課題をクリアできなさそうだからよ」
 と一蹴された。いいさ、わかりきっている事だ。
「いい?試験で良い成績を残せば教師どもの目も甘くなって活動がやりやすくなるのよっ!!」
 やれやれ、古泉と長門にはみっちり勉強を教えてもらわないとな。
「しっかりやりなさい!以上」

 ハルヒは俺にだけ文句とも取れる激励を言って解散を宣言した。




 帰り道、先を行くハルヒと長門と朝比奈さんを見やってから古泉に話しかけてみることにした。
「お前は勉強してるのか?」
 すると珍しくかげりのある表情で微笑んで、
「機関に仕込まれてますから」
 と言った。森さんに仕込まれているのか。家庭教師にはぴったりじゃないか。うらやましい。
「いえ、森さんではないでんですよ」
 力なく笑う古泉を見るとそれ以上の追求は阻まれた。
「あなたも僕の苦労を分けてあげたいものですよ」
 冗談じゃない。俺は飄々と生きてたいんだ。厄介ごとはハルヒだけで十分なんだ。
「冗談ですよ。あなたと涼宮さんをバックアップするために僕は苦労しているのですから」
 いろいろと言ってる意味がわからん。

 古泉を追い越して長門に追いつく。
「長門は勉強したりするのか?」
 長門は不思議そうな表情で俺を見て、瞳の奥で疑問を浮かべた。
「いや、なんでもない」
 長門ならハードディスクに記憶する感じで教科書の一言一句を記憶しているだろう。
「……そう」
 長門が少しだけ寂しそうに見えた。



 部活中にした勉強が思いのほかハードだったせいか、家に着くなり就寝の準備を終えた俺は勉強もする間も惜しんで床についた。試験期間であるにも関わらずの早期就寝が母親に及ぼす影響も考えずに。
 就寝の時間が早いということはそれだけ起床の時間も早まるのは俺だけに起こる現象なのかね。翌朝は嫌になるくらいの早い時間に目が覚めた俺は真っ黒な窓の外を見て、布団からはでられずに思う。
 二度寝をしようと目を瞑ってみるのにこういうときに限って眠れない。いたしかたない。勉学に励むことにするか。

 早寝の弊害で早起きを強いられて早起きの弊害で授業中の快眠を余儀なくされた一日はほぼ惰眠という形で消費された。活動中はハルヒの監視下で勉強を強制でやらされたりはしたのだが、試験期間での惰眠は致命傷になりはしないか。
「ただいま」
 家に帰ってすぐに私服に着替え、外出する。
「どこ行くの?」
 玄関で妹に捕まった。
「ちょっと図書館にでも行って勉強しようと思ってな」
「勉強するなら家でしなさい!」
 と、突然おふくろが奥から顔をだして言ってきた。どうして親というものはこうも頭ごなしで自分勝手なのだろうかと憤って、
「どこで勉強しようと俺の勝手だ」
 なんぞ反抗期さながらの発言をしてしまった。
「そんなに図書館で勉強したいなら帰ってこないでいい、ずっと図書館で勉強してなさい」
 まったく、昨日も勉強もしないでさっさと寝て、と文句をたれているおふくろに
「わかったよ、試験が終わるまでは帰らないから」
 そういってさっさと家をでた。

  ガチャン

 玄関から外へ出た瞬間にドアからそんな音が聞こえてきた。
「カギしめちゃうの?キョンくん帰ってこれないよ〜」
 妹の声も聞こえてくる。俺はいったいどうしたらいいのだろう。この年でホームレスを体験しなければならないのか。

 多少の後悔はこみ上げてこなくもなかったが、それよりも意地もあったためとりあえず、と図書館へ向かった。
 見てろよおふくろ、必死で勉強して度肝抜かせてやるからな。


 そう意気込んで入った図書館で最初に目にしたのは、そう。長門有希だった。

 長門は制服姿のままで分厚いハードカバーの本に没頭していた。