五月病と月の使者



     Kyon SIDE


 桜の花も散り葉桜に移行している五月。俺はいつもの通りミツバチが自分たちの巣箱に帰るが如く、SOS団の根城である文芸部部室に向かっていた。ハルヒの奴は掃除当番で一緒に向かってはいない。毎度連れ立って部室に行っている訳ではないので、別段変わった事ではないのだが、昨日からハルヒの様子が少しおかしいので気になるといえば気になっていた。
 まあ、ココ最近であいつのあんな姿を見るのは久しぶりだしな、少しくらい心配しても仕方ないだろ。ハルヒの言葉を借りるなら、団長の心配をするのは団員の責務だしな。
 そんな何でも無い事を考えながら歩いていたらいつの間にか部室の前に着いていた。
 ノックを忘れずにして、朝比奈さんのかわいらしいお声を聞いてから部室内へと身体を入れる。
 それからはいつもの通りだ。古泉に誘われボードゲームを始め、朝比奈さんに入れてもらったお茶を飲み、部室の置物と化している長門を眺める。いつもと変わらない日常。これが今の俺が普通と感じる日常なんだ、と改めて思ってしまう。
 しばらくすれば、ドアを開けるけたたましい音と共にハルヒがやって来るだろう。それまでの間はこの静かな時間を堪能していたいものだ。
 まあ、出来ればハルヒが来てもなんの騒ぎが起きないのが望ましいのだが、それは無理な相談だろう。いくら元気が無くても俺達を引っ掻き回してがなっているハルヒが目に浮かぶ。
 だが、それが不快かと問われればそんな事は無い、と断言できる。
 それは何故か聞かれればこう答える。そんな事も含めて今の俺の日常になっているからだ、と。
 今日も普段通りの時間が過ごせるものだと、この時までは思っていた。あんな事があるなんて考えもしなかった・・・



 カチャ・・・

 部室のドアが静かに開いていく。
 誰か客がノックもしないで入ってきたのかと、自然に部屋の中にいるメンバーは(長門を除く)ドアの方に目を向ける。誰が入って来るのかと見ていると、入ってきたのはハルヒだった。
 珍しい事もあるもんだ。こいつが静かにドアを開けて入って来るなんて。

「随分とおとなしく入ってきたな」

「うるさいわね・・・」

 俺の皮肉に覇気の無い声で返し、そのまま俺とは目を合わせずに団長席へと向かう。
 こいつがこんなだと調子が狂うな・・・。いつもならもう少しこう・・・なんと言うかあれだ・・・俺に対して突っかかってくるような問答があるはずなのにそれが無い。
 何処となく違和感を感じる。こいつ、なんか悩み事でもあるんじゃないか? そう思い聞いてみる事にした。

「悩み事でもあるのか? あるなら相談くらいは乗るぞ?」

「あんたに相談したくらいで解決するなら、警察も裁判所もいらないわよ・・・」

 団長席の机に突っ伏しながら、これまた元気なく呟く。
 その言い回しに多少カチンときながらも、いつもの事だと気にせずに次の言葉を投げかける。

「あのなぁ、俺はただお前を心配して・・・」

 俺が言い終わるより早くハルヒは顔を上げ、叫んだ。

「うるさいって言ってるのっ!!」

 まるで初めて話し掛けた時のような表情と言葉。
 いや、あの時よりも悪いか。こいつの顔に出ている感情は俺に対する完全な拒絶。

「あんた、あたしのなんなのよっ!
 保護者にでもなったつもり!? ふざけないでっ!
 あたしの事なにもわかってないくせにっ!」

 お前、何を言って・・・

「どうせ、あたしが元気になったら厄介ごとに巻き込まれるって思ってるんでしょ!?
 だったらこのままでも良いかと思ってるんでしょ!?
 嫌々ここに来るなら来なければ良いじゃない!
 もう、来なくて良いわよっ!」

「・・・・・・」

 頭の中はやけに冷静にハルヒの支離滅裂な言葉を聞いていた。
 後から思った事だが、この時の俺は冷静だった訳じゃなく、怒りのメーターが振り切れちまってるだけだったんだ。だから、この後のセリフも淡々となんの感情の揺れも無く言えたんだろう。

「そうか・・・わかった・・」

 自分でも驚くほど冷たい声だと思った。

「・・・え?・・・」

 俺はパイプ椅子から立ち上がるとハルヒに背を向ける。

「悪かったな、余計な事言って。
 お前がそう言うなら俺はもう、ここには来ない。
 この一年世話になったな」

 そう言ってドアの方へと足を向ける。

「キョン君!?」

「・・・・・・・・」

「待ってください!」

 今まで黙って見ていた三人が椅子から腰を上げている。
 長門まで驚いたような表情をしているのには吃驚したが、そんな事を表に出さずに三人に言葉をかける。

「三人とも、廊下で会ったら声くらい掛けてくれ。
 この部屋ではもう、会うことは無いだろうから」

 言い終えるとドアノブに手をかける。

「ちょ、ちょっとキョン!?」

 外に出ようとした時ハルヒが声を上げる。
 そうだな、こいつにも一言掛けておくか。
 部屋の方へ向き直り、ハルヒを見る。

「お前とは教室で毎日会うからな、挨拶くらいはするさ。
 クラスメイトとしてな」

 それだけ言って再びドアの方へと身体を向ける。

「待ってよ、キョン!」

 椅子から立ち上がる音がする。ハルヒが立ち上がったんだろう。
 いや、もうハルヒなんて名前で呼んだら怒るか・・・だったら、
 
「じゃあな、涼宮さん」

 俺はそう呟き部室の外に出る。

「キョン・・・・・・」

 ドアを閉める瞬間、小さな呟きが俺の耳に届いた。



     Haruhi SIDE


 ああもうっ。つらいったらないわ!
 なんで女だけがこんな目にあわなきゃならないのよ・・・っ! 昨日から調子が悪いったらないわっ!
 それもこれも月一で来る、アレのせいだ。しかも、今までに無いくらい体調が悪くなってる。
 それでも学校に来る自分を誉めてあげたいわ。あたしが学校に来ないと、いろいろ不都合があるでしょうし。ま、これもSOS団の団長としての責務かしらね。
 でも、こんな時に限って、なんであたしに掃除当番が回って来るのよ!? キョンはさっさと教室を出ていっちゃうし。・・・部室に向かったんだろうけど、少しは心配しても良いんじゃない? あたしの様子がおかしいって気づいてるみたいだったしさ。
 掃除なんて適当に終わらせたいけど、あたしの性格的にそれは許せないのよね。やるならきっちりとやらないと気がすまない。だけど、今はその性格がうらめしいわ・・・
 もう、帰っちゃおうかな・・・
 ・・・・・・
 駄目、駄目よっ。ここで帰ったら学校に来た意味が無くなるわ。
 あたしが今、学校に来ようと思う一番の理由にSOS団の活動がある。それを蔑ろになんて出来ない。いくらつらくても部室には顔を出さなきゃ、団長として失格だわ。
 早く掃除を終わらせて部室に行こう。それで、みくるちゃんの入れたお茶を飲んで、このもやもやを吹き飛ばすイベントを考えるっ。
 そうすればあたしも元気が出るってものよ。さ、早く終わらせるとしますか・・・

 あたしは今、部室のある部室棟に向かって歩いている。
 失敗したわ・・・掃除を早く終わらせるために激しく動いたのが不味かった。あたしの体調の悪さと、テンションは反比例を続け、今は天と地の差がある。
 つまり、体調の悪さは右肩上がりで、テンションは右肩下がりと言うわけよ・・・こんなこと考えてるだけで気持ちが滅入ってくる。
 廊下を走る元気はもちろん、ドアを勢い良く開ける気力も無い。

 カチャ・・・

 あたしが部屋のドアを開けて中に入ると、皆が(有希を除く)意外そうな顔をして見ていた。
 なによ皆して、そんなに変かしら。

「随分とおとなしく入ってきたな」

 キョンが皮肉たっぷりに言ってくる。
 正直、ムカッときたが今はキョンと言い争っているより早く座りたい。

「うるさいわね・・・」

 だから、それだけ言ってキョンとは目も合わせずにいつもの席に向かう。
 ふう・・・これで一息つけるわ。しばらくはこのまま机に突っ伏して、体力の回復を待とう。

「悩み事でもあるのか? あるなら相談くらいは乗るぞ?」

 また、キョンが話し掛けてくる。
 今は話し掛けないで欲しいのに、気の利かない奴ね。まったく・・・

「あんたに相談したくらいで解決するなら、警察も裁判所もいらないわよ・・・」

 疲れと最悪の体調のせいで、頭で考えるより早く口だけが動いていく。
 言った後に少し後悔した。あたしの事を心配した上での言葉だったのに、あんな事を言ってしまった。
 でも、これでほっといてくれるだろう。今はまだ、余裕をもって誰かと話せる自信が無いから、その方があたしとしてはうれしい。取り返しの付かないことを言ってしまうかもしれないから。
 しかし、この時のキョンはしつこかった。いや、あたしの事をそれだけ心配してくれていたんだけど、その時のあたしはそんな事に気づきもしなかった・・・

「あのなぁ、俺はただお前を心配して・・・」

 懲りずにまたキョンが話し掛けてくる。
 目の前がカッと赤くなった気がした。

「うるさいって言ってるのっ!!」

 気づいたらあたしは叫んでいた。
 どうしてそっとしておいてくれないのかと、それだけが頭の中を駆け巡る。

「あんた、あたしのなんなのよっ!
 保護者にでもなったつもり!? ふざけないでっ!
 あたしの事なにもわかってないくせにっ!」

 口だけが動いていく。
 やめて、止まって、あたしはそんな事言いたいんじゃない。

「どうせ、あたしが元気になったら厄介ごとに巻き込まれるって思ってるんでしょ!?
 だったらこのままでも良いかと思ってるんでしょ!?
 嫌々ここに来るなら来なければ良いじゃない!
 もう、来なくて良いわよっ!」

 次々と辛辣な言葉が出ていき、言い終わった後あたしは肩で息をしてしまっていた。

「・・・・・・」

 キョンが怒ったような、それでいて悲しそうな顔をしてあたしを見ている。
 言い過ぎたことは自分でも良く解っていた。だから、何かを言おうとして口を開きかけた時、先にキョンが口を開いた。

「そうか・・・わかった・・」

 今まで聞いた事の無い、冷たい声だった。
 何かが・・・何かが壊れていく、そんな感じをあたしの身体は感じていた。

「・・・え?・・・」

 間抜けな声。それが自分の声だと気づくのに数瞬かかった。
 キョンが椅子から立ち上がる。

「悪かったな、余計な事言って。
 お前がそう言うなら俺はもう、ここには来ない。
 この一年世話になったな」

 なにを言ってるの、キョン?
 あたしがあんな事言ったからって、素直に信じるあんたじゃないでしょ?

「キョン君!?」

「・・・・・・・・」

「待ってください!」

 あたしを除く三人がキョンを追いかけようと椅子から腰をあげている。
 有希があんな顔するの初めて見た気がする。

「三人とも、廊下で会ったら声くらい掛けてくれ。
 この部屋ではもう、会うことは無いだろうから」

 意識的にそうしてるのか、キョンはあたしとは目を合わせないようにして、三人に声を掛けている。
 言い終わるとそのままドアノブに手をかけ、出て行こうとする。

「ちょ、ちょっとキョン!?」

 あたしの言い訳も聞いて欲しい。
 どうしてあんな事を言ってしまったのか、聞いて欲しい!
 だからあたしの方を向いてよっ!
 椅子から腰を上げかけた瞬間、キョンが振り向きあたしの目を見ながらこう言った。

「お前とは教室で毎日会うからな、挨拶くらいはするさ。
 クラスメイトとしてな」

 待ってっ、待ってよっ!

「待ってよ、キョンッ!」

 謝るからっ!
 もう、来なくて良いなんて言わないからっ!
 だけど、あたしの思いを打ち砕く言葉がキョンの口から紡がれた。

「じゃあな、涼宮さん」

 ガラガラと何かが崩れ去る音があたしの心で鳴り響いた。

「キョン・・・・・・」

 あたしはキョンの後を追うことも出来ずに、頬に伝わる熱い物を感じながらその場に力無く座る事しか出来なかった・・・・・・











Mikuru SIDE


 キョン君が出て行ってからわたし達は呆然としていた。まさか、キョン君があんな事を言うとは思ってもいなかったから。
 一番先に動いたのは古泉君だった。キョン君を追いかけて部屋を飛び出して行った。
 その姿を見て私も追いかけようと思ったけど、出来なかった。
 涼宮さんを放って置くなんて出来なかったから・・・
 彼女は今、床に座り込んで泣きつづけている。
 こんな弱々しい姿を私たちに見せるなんて今までに無かった事。それだけ彼の存在は涼宮さんの中で大きかったのだろう。
 わたし達にとっても彼はかけがえの無い存在であるのには変わりない。だけど、わたし達と涼宮さんとでは、自分の心の中を占めるキョン君の割合が決定的に違う。それゆえに今、追うことも出来ずにうずくまって泣いてしまっているのだろう。
 正直、うらやましいと思う。
 わたしは、この時代の人に対する思いで心を占めるなんて許されないから。
 それは、いつか自分のいた本当の時間に戻る時のために必要な事。心をこの時代に置いていかないようにするための必須事項。
 でも今は、そんな事を考えている時じゃない。
 わたしは涼宮さんに近づく。

「大丈夫ですか、涼宮さん?」

 わたしの言葉には何の反応も示さず、うずくまって泣きつづけている。
 このまま話し掛けても駄目だよね。きっと今と同じように涼宮さんには届かない。それなら、

「このままキョン君がいなくなって良いんですか?」

 ビクッ!

 わたしの言葉に初めて反応してくれた。

「このままだとキョン君、ここには二度と来てくれないかもしれませんよ」

 今の涼宮さんには、キョン君の話しかないと思ったわたしの考えは正しかったみたい。顔を上げてわたしの事を見てくれてる。

「・・・や・・・いや・・・キョンが・・・キョンがいなくなるなんて・・・いや・・・」

 瞳を涙で濡らしながら、声を詰まらせながらも答えてくれた。
 
「だったら、仲直りしなくちゃ駄目ですよ」

 普段だったら、こんな年上ぶった言い方はしないけど、今は仕方ないよね。
 でも、涼宮さんの顔は曇ったままだった。
 どうしたんだろう。いつもだったらここまで言えばどうにかしようと動き始めるのに・・・

「どうしたんですか、涼宮さん?」

 わたしの問いに少ししてから、こう答えた。

「わかんないの・・・どうやって仲直りしたら良いのか・・・わかんないよぉ・・・」

 一度は止まりかけていた涙が、また溢れ出してくる。

「え・・・?」

 仲直りの仕方がわからない? どうして?
 わたしの疑問も彼女の次の言葉が吹き払ってくれた。

「今まで、こんな事なかったから・・・こんなにいなくなってイヤなんて思う奴いなかったから・・・」

 そうかぁ・・・だから仲直りの仕方がわからないなんて言ったのかぁ・・・
 喧嘩しても仲直りしたいと思う人が今までいなかったのか、相手の方が先に許してくれたのかそれはわからないけど、今までと今とは全然違うってことかな。

「簡単ですよ。ごめんなさいって謝れば良いんです」

「でも、キョン、本気で怒ってた・・・。あたしの事も『ハルヒ』じゃなくて、『涼宮』って・・・」

 あの一言にはわたしも驚いたけど・・・

「平気です。涼宮さんが心から仲直りしたいって思って謝れば、きっと許してくれます」

 涼宮さんの力を使えば簡単な事。
 でも、今回だけはその力を使っては欲しくない。自分で、自分の言葉でキョン君と仲直りして欲しい。
 無意識の力だから使ってしまうかもしれないけど、使わないで欲しいと願ってしまう。

「ほんと・・・?」

 不安で一杯の瞳でわたしの事を見る。
 
「はい」

「キョン、許してくれるかな?」

「はい」

「また、ハルヒって呼んでくれるかな?」

「大丈夫です。キョン君はきっとそう呼んでくれます」

 涼宮さんの言葉一つ一つに答えていく。

「・・・う・・・えぐ・・・ありがと・・・みくるちゃん・・・」

 再び泣き崩れてしまう彼女を優しく抱きしめる。

「気にしないで下さい。わたしもお二人には仲良くしてもらいたいんです」

 わたしの胸の中で声を殺しながら涙を流す彼女の頭を撫でながら、心からそうして欲しいと思った。



     Haruhi SIDE



 部室で思い切り泣いた後、意を決してキョンの携帯に電話を掛けてみた。
 結果は予想していた通り出てくれなかった。
 それに対して落ち込みかけたあたしを救ってくれたのはみくるちゃんと有希だった。

「キョン君は今、古泉君と一緒にいるそうです。
 落ち着いて話の出来る状態ではないそうなので、今は自分に任せて欲しいと言ってました」

 どうやらあたしがキョンに電話をしている間に、古泉君に連絡を取っていたみたい。
 でも、落ち着いて話の出来ない状態って、そうとう怒ってるって事だよね。やっぱり仲直りなんて出来ないんじゃ・・・

「少しすればキョン君も元に戻ってくれますよ」

 本当にそうだろうか? あそこまで怒ったキョンを見た事が無い。
 もう二度とあたしの事を見てくれない、そんな気さえしてくる。

「今は古泉君にまかせましょう。男の子同士で話をしたほうがキョン君も落ち着くかもしれないし」

 それでも、あたしは不安なの・・・キョンはもうあたしの事なんてどうでもいいと思ってるかも・・・
 あたしの弱気な発言に二人は顔をしかめる。
 さっきもそうだけど、今日の有希は表情が豊かな気がする。

「そんなことは・・・」

「そんなことはない」

 みくるちゃんの言葉を遮り、有希がいつもの断定口調で声を上げる。

「彼がこの場所を去る事は考えられない」

 でも、キョン自身が言ってたじゃない。もう、この部屋で会うことは無い、って。

「彼の精神状態は不安定になっていると推測する」

 その不安定もあたしのせいで起こったんじゃないの?

「一概にはそうとは言えない」

 どういうことなの?

「まず、彼の精神状態は貴女が部室に顔を出す前から水面を漂う鳥の羽のようだった」

 珍しい事に、有希が曖昧な表現をしている。

「そして、貴女が現れてからは嵐の中を航行する小船の様相を表していた」

 それってやっぱりあたしが原因って事じゃないの?

「一概にそうとは言えない理由として、彼が貴女の姿を見たときの様子を参考にする。
 彼は貴女の姿を視界に入れたとき、相反する感情を抱いていた。
 それは、喜悦と嫌悪。
 普段の彼ならばどちらかの感情に偏っていた物と思われる。
 よって、彼の現在の精神状態は不安定と推測する」

 有希の有希らしくない言動も今は自然と受け止められる。
 有希もみくるちゃんも、あたしを、キョンを心配してくれているのが良く解る。
 それでも不安になってしまうのはあたしが弱いからだろうか・・・

「キョン君だって、機嫌の悪い日があると思います。
 だから、涼宮さん。悪い方向にばかり考えないで下さい」

 うん、ありがと、みくるちゃん有希。
 じゃあ、今日はもう解散。
 ごめんね、心配掛けちゃって。

「あ、あの、一緒にいなくて平気ですか?」

 もう、心配しすぎよ、みくるちゃん。
 大丈夫、泣いてばかりもいられないでしょ。それにそんなのあたしらしくないしね。
 そう言って笑ってみせる。

『・・・・・・・・』

 二人ともあたしの顔を見つめている。
 ここで無理しているのを悟られるわけにはいかない。

「さぁ、帰るわよ」

 二人の背中を押すように部室の外へと向かった。


 あの後、しきりにあたしの事を心配するみくるちゃんをなだめて帰路に着いた。
 今は自室のベッドの上で横になっている。
 明日の事を考えながら今日の事も思い返してみる。
 あれこれと浮かんでは消えていく疑問と答え。でも、一つとしてあたしの心を軽くしてくれる物は出てこない。
 時間だけが過ぎていき、いつしか思考の海の中へと深く深く入り込んでしまっていた・・・




 翌日、あたしはいつもより早い時間に目が覚めた。・・・ううん、寝ていないと言ったほうが良いのかな。ベッドの中で横になっていても全然眠くならなかった。
 無理矢理眠ろうとして目をつぶると、あの時のキョンの顔が目蓋の裏に浮かんできて眠ろうとする意識を掻き消した。
 眠っていいの? 今すぐ謝りに行った方が良いんじゃない?
 答えの出ない自問を繰り返しているうちに朝になってしまったのだ。
 体調は昨日に比べたらかなり良くなっているけど、心の方は相変わらず深く沈んだまま。
 はぁ・・・あたしらしくないなぁ・・・
 高校に入学するまで、誰に嫌われようが誰がいなくなろうが関係なかったのに・・・
 自分がこんなに弱かったなんて知らなかった。
 ただ、一人の人間が自分の傍からいなくなろうとしているだけでこんなにも心が乱れるなんて思いもしなかった。
 しかも、その相手は宇宙人でも未来人でも超能力者でも異世界人でもない普通の人間。あたしが、興味をそそられる要素を何一つ持っていない。
 そいつは何かというとあたしのやる事に文句を言うし、邪魔をするし、呆れた顔するし・・・でも、何時だってあたしの傍にいてくれて、嫌がっていてもしょうがねぇなって顔で付き合ってくれて、呆れていてもあたしの話をちゃんと聞いてくれた優しい奴・・・
 恋愛は一種の精神病だって話した事もある。
 だってそうでしょ? その一人の事を考えるだけで、その人がいなくなるって考えるだけで、こんなにも胸が張り裂けそうになるんだから。
 ・・・あたしはもう、一人きりで居続ける事は出来ない。SOS団のメンバーが、キョンがいてくれないと駄目なんだと痛感していた。

 普段より早い通学時間。あたしの他にこの坂を上っている北校生の姿は無い。
 家にいても落ち着かないし、それなら学校に行っちゃえと半ば勢いだけでここまで来たけど、考えてみればこの時間に教室に行ったとしても誰もいない訳で、結局一人で落ち着かない時間を過ごす事になる。
 ああもう、なにやってるんだろ、あたしは。そんな事少し考えれば解る事なのに・・・
 はぁ・・・教室に着いたらキョンにどうやって謝るか考えよ・・・時間はあるんだからちゃんと仲直りできる謝り方を見つけなきゃ・・・

 もうすぐキョンが来る時間よね。
 柄にも無く緊張してる。
 どうやって話し掛けよう。
 何事も無かったように話し掛ける?
 駄目、そんなんじゃきっと一瞥されるだけだ。
 SOS団を作る話をした時のように無理矢理引っ張って行く?
 それも駄目よね。キョンが本気で抵抗したらあたしの力じゃ連れて行けない。
 うぅぅ・・・謝る事ばかり考えてて、その前の段階の事をすっかり忘れてたわ。
 謝るも何も、まずは話し掛けなきゃいけないってのに・・・
 だけど、あたしの葛藤は杞憂に終わった。
 話し掛ける相手が、キョンが学校に来なかったから・・・

 放課後、あたしは重い足を引きずるように部室に向かった。本当はすぐに帰るつもりだったけど、HRが終わると同時くらいに古泉君からメールが来たからだ。
 内容は話があるから、部室まで来て欲しいって事だった。
 いつもの部屋に着くと、中にはすでに古泉君達三人があたしを待っていた。

「お呼びたてしてしまいましてすいませんでした。
 火急にお伝えしたい事がありましたもので」

 それは良いけど、急いで伝えなきゃいけない事ってなに?

「彼の事についてなのですが」

 キョン!? キョンがどうしたの!?
 あいつ、今日学校来てなくて、携帯に掛けても出なくて、あたしこれからキョンの家に行って見るつもりだったの。
 古泉君、キョンに何かあったの? ねぇ!?

「落ち着いてください涼宮さん。落ち着いて僕の話を聞いてください」

 キョンに何かあったなら落ち着いてなんかいられないわよっ!
 まだ、昨日の事謝ってもいないのよ!? それなのに・・・

 キュ・・・

 みくるちゃんが無言であたしの手を握ってくる。みくるちゃんを見ると、泣きそうな顔をしながらもあたしの気持ちを落ち着けようとしてくれてるのが解った。
 また、迷惑かけちゃった・・・どうしてこうなのかな・・・

「古泉一樹の話は貴女にとって精神的苦痛を与える物になる。それを念頭において聞いて欲しい」

 ということは二人は先に聞いたという事だろう。精神的苦痛って事は良くないことっていう意味よね。
 嫌な予感がする。キョンに何かあったんだ。
 聞きたいけど聞きたくない。

「それでは、よろしいでしょうか?」

 それでも聞かなきゃいけないと心が警鐘を鳴らす。

「いいわ、話して頂戴・・・」

「では・・・実は昨日の深夜未明から彼の行方が解らなくなってしまっているのです」

 ・・・・・・え?

「昨日は、日付が変わってから彼とは別れたのですが、それ以降の足取りがまったくと言って良いほど解らないんです」

 ウソ・・・でしょ・・・?

「昨日の彼の状態を心配しまして、知り合いに様子を見ていてくれるように頼んだんです」

 見てるって、探偵の知り合いでもいるの?

「ええ、探偵のような物です。
 その知り合いに聞いてみたところ、自宅から出掛けた様子も無いのに部屋にいる様子も無い。
 気になって本人がいるかどうか確認を取るために、登校するために家を出てきた妹さんに聞いたそうです。
 『キョン君はまだ家にいるんですか?』と」

 ・・・・・・

「妹さんが言うには『キョン君は昨日から家に帰ってないよ』との事。
 どうやら僕と別れた後に何かあったようなんです」

 ・・・何かって何?

「それは解りません。
 ですが、僕と別れる前の彼はこの部室を出た時とは違って、他愛の無い話も出来ていましたから失踪という訳でもないと思いますが」

 ギュッ!

「え?」

「大丈夫です。キョン君はきっと大丈夫ですから・・・」

 みくるちゃん、なんであたしを抱きしめてるの?

「これから私と古泉一樹は彼の捜索に入る」

「涼宮さんと朝比奈さんはここで待っていてください」

 待ってあたしも行くわ。

「無理はしない方が良い。
 自覚は無いだろうけれど、今の貴女は極度の精神疲労、及び身体の震えによる体力消耗で衰弱している。
 昨日も十分な休息を取っていないと推測する」

 有希があたしの肩に触れながら言う。
 言われて初めて気づいた。あたしの身体は今もガタガタと震えていた。
 収まりそうにも無い体の震え。抱きしめてくれているみくるちゃんまで震えている気がする。

「で、でも・・・あ、あたしも・・・一緒に・・・」

 声まで震えてる。

「駄目です。
 涼宮さんは今、動いちゃ駄目です」

 みくるちゃん・・・

「では、朝比奈さん。
 涼宮さんをお願いします」

 そう言って二人は部室を出て行った。

「な・・・んで・・・」

 あたしも一緒に探したい。あたしが原因なんだから行かせて欲しい。

「今は、お二人を信じてください。
 そして、キョン君を」

 みくるちゃんの腕に抱かれながら、あたしは自分の無力さと弱さを感じていた。

「キョン・・・キョン・・・戻ってきてよ・・・」

「涼宮さん・・・」

 戻ってきてあたしの傍にいてよ。
 あたしの我が侭聞いてよ。
 あたしを・・・ハルヒって呼んでよ・・・・・・













Haruhi SIDE




 毎日が楽しかった。
 小さな子供が初めて同年代の友達が出来た時のように、何をして楽しむのか、何処に行って遊ぶのかそんな事を考えるだけでも楽しかった。
 だけど、そんな楽しい日常もあたし自身が放った一言でいとも簡単に崩れてしまった。
 感情だけで放った言葉は今まで築き上げた物を、砂で作ったお城を壊すように吹き飛ばしてしまった。

 学校に行くのが楽しかった。
 部室で皆で騒ぐのが楽しかった。
 今までの人生で初めてそう思えた。
 でも、もう戻れない・・・
 あたしが自分で壊してしまったから・・・
 大切な人を傷つけてしまったから・・・
 それでも、願ってしまうのは卑怯だろうか。
 あの一言を言う前に戻りたい、あいつが当たり前のようにいるあの日常に戻りたいと願ってしまう。
 あたしにそんな事を願う資格があるのか解らないけど・・・・・・




         Mikuru SIDE


 昨日と同じ状況になってしまった。
 ううん、違う。昨日よりも悪くなってる。
 わたしがいくら話し掛けても、涼宮さんは何の反応もしてくれない。
 こんな時わたしは自分の無力さを思い知る。

 やっぱり涼宮さんにこの話をしたのは失敗だったんだ。
 昨日の様子から考えても、彼女がキョン君の行方が解らないなんて話に耐えられる訳がないことは考えなくても解ることなのに。二人はその話を切り出し、わたしは止める事が出来なかった。
 このまま世界が終わってしまったらわたしの責任だ。
 止められたはずの出来事なのに状況に流されるだけで何もしなかった。
 上からの命令が無いからといって傍観していた。
 流れに逆らえば違う状況になったかもしれないのに、自分で動けば変わったかもしれないのに。
 誰か助けて・・・涼宮さんを助けて・・・
 ・・・・・・キョン君・・・助けて・・・・・・




         the third person SIDE


 文芸部室には静寂が続いていた。
 聞こえる音といえば、遠くで部活動に勤しんでいる運動系のクラブの声と、吹奏楽や軽音楽部の奏でる楽器の音。
 部屋の中でする音は、ハルヒの浅い呼吸音とみくるの微かな嗚咽だけ。
 ・・・どれくらいの時間がたったのだろう。
 古泉と長門の二人が部屋を出てから少なくとも一時間以上が過ぎている。
 その間、みくるはずっとハルヒを抱きしめている。
 ハルヒの身体の震えは、今はもう収まっている。その代わりという訳ではないだろうが、今度はみくるが微かに身を震わせている。その瞳に涙をたたえながら、心の内に後悔の念をしまいながら。
 二人の間に会話は無く、ただ時間だけが過ぎていく。
 やがて太陽が西の端に沈もうとする時間がやってきた。

 カチャ・・・

 部室のドアが静かに開き、古泉と長門の二人が室内へと入って来る。古泉の顔には焦燥感が滲み出ていて何の進展も無かった事が窺い知れた。

「心当たりのある場所を全て当ってみましたが、彼の姿はおろか情報すら手にする事が出来ませんでした」

 いつもの微笑が消えたままの古泉が言う。

「そ、そんなぁ・・・それじゃキョン君はどうしちゃったんですか、まさか誘拐・・・」

 キョンが誘拐され監禁されているのを想像したのか、みくるの表情がゆがんでいく。

「その可能性は低い」

「そうですね。誘拐という可能性は低いでしょう」

 長門の言葉に同意するように古泉が言う。

「仮に誘拐だとしたら彼のご家族に何らかのアプローチがあるはずです。
 しかし、それが無いという事は誘拐の可能性が低い事を表しています。
 完全に0%という訳にはいきませんが・・・」

 そう言って微笑む。
 普段のそれとは違って硬くなってしまっているのは仕方ないかもしれない。

「だ、だったら警察に・・・・・・」

 ようやく顔を上げてハルヒが声を上げる。

「捜索願いですか? 僕達が出したのでは不自然です。
 そもそも、本当にご家族にも行方が知れないのか確認出来ていないんです。
 迂闊な行動は取れません」

 古泉にも余裕が無いのか、ハルヒに対する言葉にしては荒くなっている。

「それに、彼が自ら姿を消した可能性もあるのです」

 全員に背を向け古泉が言う。

「キョンが? 自分から? な、なんで?」

「わかりませんか? こんなにも原因がハッキリしているのに」

「そ、それは・・・・・・」

「解らない、言いたくないというのであれば僕が変わりに申し上げましょう」

 言葉の中に苛立ちと落胆の色を含ませながら紡ぎだし、ハルヒの方に向き直る。

「彼が失踪した理由・・・」

「・・・やめて・・・」

 再びうつむいたままか細い声で呟く。

「その原因は、涼宮さん。あなたにあります」

「!!」

 ビクッとハルヒの体が跳ねる。

「彼が自らの意思で姿を消したというのであれば、それが一番の要因であるのは間違いありません。
 そして、未だに手がかりの一つも見つからないということは、それだけここには戻りたくないという彼の意思表示なのではないでしょうか」

 一息でそこまで言うと再び背を向け語りだす。

「涼宮さん。彼の事を疎ましく思っているのであればハッキリ言って下さい。
 そうしてもらえたほうが彼も僕たちも気が楽になります」

「古泉君っ!」

 今まで黙っていたみくるがたまりかねたように声を上げる。

「そんな事言わないでも良いじゃないですか!
 今一番つらいのは涼宮さん・・・」

「待って」

 みくるが全てを言い切る前に長門の声がそれを遮る。

「長門さん・・・?」

「私も古泉一樹と同意見」

「えっ!?」

 信じられない物を見るように長門を凝視する。

「もしも、彼の事を疎ましく思っているのであれば、私たちのしている事は徒労に終わる」

「そんなこと・・・」

 みくるが声をはさむがそれを無視して続ける。

「それにそんな状態で彼を連れ戻したとしても同じ事の繰り返しになる公算の方が高い」

 みくるは悪い夢でも見ている気分になった。
 ハルヒを追い詰めればどういう事態になるのか解らない二人では無い筈なのに。
 徐々に、だが、確実に二人の言葉はハルヒの心を抉り続けている。

「涼宮ハルヒ。私は貴女に問う。
 貴女にとって彼はどういう存在なのか。
 貴女は彼の事をどう思っているのか」

 長門の声を聞いて顔を上げていたハルヒの目を正面から見据えながら質問を投げかける。

「そうですね。僕も長門さんの質問と同様の事を聞きたいと思っていました」

 いつの間にか長門の隣に立っていた古泉が続く。

「答えて頂けますか、涼宮さん?
 その答えによって僕達の今後の行動が決まります」

 古泉の容赦の無い言葉。
 みくるは抑えきれなくなったように一歩を踏み出し、

「そんなことっ・・・」

 『解りきっている』と言おうとして結局飲み込んでしまった。
 二人の瞳が『静観を』と言っている気がしたのだ。

「あ、あたしは・・・・・・」

 みくるが口を閉じるのと同時にハルヒが声を上げる。
 しかし、後が続かない。

「あ、あたしは・・・っ!」

 大きな瞳からポロポロと涙がこぼれはじめる。

「あたしは・・・うぁ・・・きょ・・・キョンを・・・えぐっ・・・」

 なんとか言葉にしよう伝えようとしているが、後から後から流れ出る涙と嗚咽がそれを許さない。

「もういい」

「・・・・・・え・・・・・・」

 不意に扉の外からそんな声が聞こえてきた。
 今日一日を通して聞けなかった声。
 それどころか、この先もずっと聞けなくなるかもしれないと思っていた声。
 ぶっきらぼうでやる気が無さげで、でも、優しく温かな声。
 今、この世で一番聞きたいと思っていた声だ。

 カチャッ・・・

 ドアが開き声の主が室内へと入って来る。
 扉を開けて入ってきたのは一人の少年。

「キョン・・・君・・・?」

 ここにいる筈が無いと思っていた少年が目の前にいる。
 その光景にみくるは、驚き呆然としてしまっている。

「もう止めてくれ。古泉、長門」

 そう言って二人を見る。

「あなたがそう言うのであれば、僕としては何の問題もありません」

「解った」

 二人はそのまま後ろに下がり口を閉じる。
 少年、キョンはハルヒの前までゆっくりと歩いていく。
 そして、床に座り込んでしまっていた彼女と目線を合わせるようにしゃがみこむ。

「きょ・・・ん・・・」

「ああ」

 ハルヒのようやく聞こえるくらいの呟きにキョンが応える。
 その声にハルヒの瞳から一度は止まっていた涙が溢れ出す。

「ごめ・・・ごめんなさ・・・ひぐっ・・・きょ・・・ん・・・ごめんなさい・・・えぐっ・・・・・・」

 涙で咽喉を詰まらせながら、何度も何度も謝りつづける。
 そんな彼女を見てキョンは優しく、壊れ物を扱うように優しく自分の腕の中に抱きいれた。

「俺の方こそ、ごめん。ごめんな、ハルヒ」

 柔らかい髪を撫でつつ耳元で謝罪する。

「う・・・あ・・・うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・」

 強く強く自分の制服を掴み、張り裂けんほどの声を上げて泣きつづけるハルヒの頭を、キョンは何時までも撫でていた。














         Kyon SIDE


 あれから一時間ほどが経過している。
 太陽は完全に沈み代わりに月が顔を覗かせている。
 ハルヒは今、俺の膝の上に頭を乗せ静かな寝息を立てている。
 泣き疲れたのか、昨日からの寝不足が祟ったのか解らない。
 ・・・その両方か・・・

「ぐすっ・・・キョン君、今まで何処にいたんですかぁ?」

 さっきまでハルヒと一緒に大泣きしていた朝比奈さんが涙を拭きながら聞いてきた。

「朝から長門の家にいたんです。それから授業が終わる時間を見計らってこの部室に。
 その後は、コンピ研の部室にいました」

 ハルヒの寝顔を見ながら答える。

「すいませんでした。心配をかけてしまったみたいで」

 朝比奈さんへと視線を移し謝罪する。

「キョン君が無事だったんですからもういいです」

 目を赤く腫らしながらそう言ってくれた。

「古泉君と長門さんは知ってたんですね」

 二人に視線を向けながら朝比奈さんが聞く。

「はい、申し訳ありません」

「ごめんなさい」

 問われた二人は素直に頭を下げる。
 そんな二人を見て彼女は慌てている。

「あぁっ、頭を上げてくださいぃ、せ、責めてるとかそんなんじゃなくて、えと、その・・・」

 そんな朝比奈さんを見て思わず笑ってしまう。
 やっと(と言っても一日しか経っていないのだが)いつもの日常に戻ってきた気がする。
 もう少しでこれを失うとこだったんだな。
 まったく、自分自身が情けなくなる。
 俺があんな状態にならなけりゃ朝比奈さんを泣かせることは無かったし、ハルヒを苦しませることも無かっただろうしな。
 そう、昨日の俺は少し普通じゃなかった。




 部室から出た後、すぐに古泉が追ってきた。

「何しに来やがった。お前はハルヒのご機嫌でも取ってれば良いだろ」

 今はこいつのニヤケ面を見ているとイライラが増してくる。

「いえ、今は貴方の方を優先させていただきます」

 その顔を見るといつものニヤケ顔ではなく、見たこともない真剣な顔だった。
 俺は内心驚いていたが、早く学校内から出たかったこともあり、

「好きにしろ」

 それだけを言って足早に歩き出していた。


 何も考えず闇雲と言っても差し支えのない感じで歩き、辿り着いた場所は初めて長門と待ち合わせたあの公園だった。
 学校からここまで古泉は俺に話し掛けてはこなかったし、俺から話し掛ける事もなかった。
 そのおかげなのか、公園のベンチに座った時には大分落ち着いてきていた。

「落ち着かれましたか?」

 古泉が缶コーヒーを渡してきた。

「・・・少しな・・・」

 素直に落ち着いたと言うのも癪なのでそう答えておく。

「結構な事です。
 しかし、驚きましたよ。あなたがあのような事を言い出すとは」

 いつもの張り付いたような笑顔じゃなく、綺麗な(苦笑を綺麗と言っていいのかわからんが)笑顔だった。

「悪かったな、これでお前のバイトを増やしまうな」

「それは良いのですが・・・今日の貴方は少々違和感を感じる物で」

 表現には難しい表情をしながら言う。

「違和感?」

「はい。涼宮さんにも感じた物なのですが一言で言うなら貴方らしくないかと」

「俺らしくないとは言ってくれるな。
 お前に俺の何が解ってたって言うんだ?」

「それです」

 俺の言葉にクイズ番組で正解を見つけた解答者のような顔をして苦笑する。

「あん?」

「普段の貴方でしたら鼻で笑うか不快感を表しながらの言い回しです。
 ところが今の貴方の言葉からは拒絶の色合いしか感じない。
 それでは何かあったと言っているようなものです」

「・・・・・・・・・」

「話したくないと言うのであれば構いません。
 ですが、僕に出来る事があるのであれば、どうぞ遠慮なく仰って下さい」

 優しい顔・・・本当に俺のことを心配している顔だ。
 こいつなら、こいつになら言えるか・・・・・・

「・・・・・・わからないんだよ・・・・・・」

「わからないとは?」

「どうしてこんなにイラつくのかわからない。
 そんな自分が情けなくて更にイラついて、最後にはどうでも良くなっちまうんだ・・・・・」

「それは・・・ふむ・・・」

 古泉はしばらく考え込んでからこう切り出した。

「何かしら貴方の心というか精神の方に異常があるのかもしれませんね」

「異常だと?」

「あぁ、お気を悪くしないで下さい。
 貴方自身がおかしいといっている訳ではありませんので」

 そう言って小さく笑う。

「どうでしょうか?
 僕の知り合いにその方面が専門の方がいるのですが、一度診て頂きませんか?」

 どうやらこいつは俺が精神的におかしくなっていると言いたいらしい。

「断ると言ったところで引き下がるつもりは無いんだろう?」

 そう言うと見慣れたあの微笑みを返された。


 結局あの後、古泉に促がされて知り合いだと言う医師(どうせ『機関』の人間だろうが)の所へ診察に行った。
 そこでくだされたのが「精神病の一種」という診断結果だった。
 わかり易く説明すれば「五月病」のようなものだという。
 そのせいもあって古泉に言ったような状態になっていたんだそうだ。
 それを聞いて俺は安心すると同時に不安にもなっていた。
 病気が関わっていたとはいえ、ハルヒにあんな事を言っちまってたんだから。
 その事で悩んでいると古泉がある提案をしてきた。

「それでは涼宮さんの本心を聞いてみてはいかがですか?」

 と、言ったのだ。




 これが事の顛末だ。
 古泉の案に乗ることにした俺はその足で長門のマンションに向かい、俺の精神状態を通常の物に戻してもらい、今日の計画をたてたのだ。
 結果は、まぁ成功と言っていいだろう。
 ハルヒの本心は言葉としては聞けなかったがあれだけで十分だ。
 ・・・だが、気付かなくても良い事にも気付いちまったのは誤算と言うか嬉しかったと言うか・・・
 まぁあれだ、その事についてはこいつが起きてから考えても良いだろう。
 とにかく下校時間とっくに過ぎているのにいつまでもこの人数でいることもないだろうと思い、三人に帰るようにうながす。
 俺とハルヒを心配する朝比奈さんに俺は、

「ハルヒが起きたらすぐに帰りますから」

 と、言い一応納得して帰ってもらえた。
 さて、ハルヒが起きたら何て声をかけようか?





Haruhi SIDE


 三人が帰宅して、今この部屋の中にはあたしとキョンの二人きり・・・
 実のところあたしは三人が帰る少し前には目が覚めていた。
 キョンの胸の中で泣いた後、いつの間にか眠っていたのには一応驚いたけど、もっと驚いたのがキョンの膝枕で寝てたこと。
 それに気付いた時は心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい吃驚した。
 やばっ、意識したら顔が熱くなってきたっ。
 こ、このままだと起きてたのがばれちゃうかも・・・こうなったら。

「う・・・ん・・・」

 あたしは小さく身動ぎして頭を動かし顔に髪を垂らして顔が見れないようにした。
 よし、これでばれないはず。
 あたしがホッとしていると頭に何かが触れる感触がした。
 何度も何度もゆっくりと往復している。
 ・・・・・・キョンがあたしの頭を撫でてる・・・・・・
 これは・・・なんと言うか・・・はずかしい・・・
 でも、ちょっと気持ちいいかも・・・
 あたしがそんな事を考えながらまどろんでいると、ふいにキョンが独り言を話し出した。

「まったく、こうしておとなしくしてればかわいいのにな」

 あたしが寝たふりしているのに気付いていないようでそんな事を言い出した。
 何よ、それじゃ普段はかわいくないみたいじゃないっ!
 確かにみくるちゃんみたいに守ってあげたくなるような性格じゃないし、有希みたいにおしとやかじゃない。
 だけど、あたしだって女の子なんだから・・・・・・

「でもな、俺はいつものお前でも十分魅力的だと思ってる」

 ・・・え!?

「わがままで強引で自分勝手で俺の言う事なんてちっとも聞かなくて」

 ほ、誉めてないわよね・・・・・・

「そんなハルヒのことが何時の間にか俺は・・・」

 ちょ、ちょっとっ!

「ま、待ってっ!!」

 思わず声を上げてしまう。

「んなっ!?」

 あたしがいきなり声を上げて起きたものだからすごい驚いている。

「お、おま、い、いつから!?」

 何が言いたいのか解らないでもないけど、あたしにもそれに答えているような余裕なんてない。
 勢いだけで起きて叫んだものだから、頭の中は絶賛混乱中だ。この後どうしようなんて考えてもいない。

「そ、そんな事どうだって良いでしょ!?
 あ、あたしがいつ起きてたって!」

 顔は今までに無いくらい赤くなってるに違いない。
 キョンも驚いたせいなのか、それとも怒っているのか顔を真っ赤にしている。

「ぜ、全部聞いてたのか、もしかして?」

 キョンの言葉にぎこちなくうなずく。

「マジか?」

 コクン・・・

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・続き・・・」

「えっ!?」

「さっきの続き・・・」

 意味が解らなかったのか聞き返してきたキョンにそう伝える。

「続きって、お前。自分で止めておいて」

「あたしが寝てる間に言うなんて許せなかったんだもん・・・・・・」

 起きてる時に面と向かって言って欲しい、なんて思うのはわがままだろうか。
 ・・・ううん、変じゃないわっ!
 だって大切な事だもんっ!
 そういうことはちゃんと覚えていたいもの。

 ポン

 あたしが唇を尖らせて俯いているとキョンが頭に手を乗せてきた。

「そうだな、悪かった」

 優しい声。

「仕切りなおしだ。良いか?」

 顔を上げる。
 目の前にはあたしの大好きな人の笑顔。

「ハルヒ。俺はお前の事が好きだ。
 これから先もずっと俺の傍にいてくれないか?
 いや、そうじゃないな。
 ずっと傍にいたい。だから、俺と付き合ってくれないか?」

 あたしは今、どんな顔をしてるんだろう。
 きっと、すごくしまりのない表情をしているに違いない。
 だって仕方ないじゃない?
 今までこんなに嬉しく思えたりした事なんて無かったんだからっ!!
 そんなあたしの前で、キョンはあたしの返事を待っている。
 あたしがどう返事するなんて、あたしとキョンが出合った時から、ううん、この世界が生まれた時から決まってる。

「あたしもずっと傍にいたい、大好き、キョンッ!!」

 そう言ってキョンの胸に飛び込む。
 そのまま瞳を閉じ顔を上向かせる。
 しばらくして唇に温かいものが触れる。
 心の中がキョンで満たされていった。





Kyon SIDE is Epilogue "Happy End"


 季節の移り変わりはただ単に気温の変化や景色の変化だけではなく、人の心にも様々な変化を伴わせる物だと俺は思うのだが、そんな物お構いなしに突っ走っている奴も、まぁ、いたりする。
 俺が誰の事を言っているのか想像している人もいて、それが誰か解るのだがそれは今回に限っては違うと言っておこう。
 そいつが何も変わっていない訳も無く日々過ぎるたびにいろいろな変化を見せてくれている訳なのだが、周りの人間(特に一部の学友)にとっては世界の終わりを示す物ではないかと思っている奴もいるようだ。

「キョ〜ン♪」

 そんな事を考えながら廊下を歩いていると後ろから俺を呼ぶ声。
 振り返り確認しようとするより早く背中に飛びつかれる。

「うおっと、こら、いきなり飛びつく奴があるか。危ねぇだろうが」

「いいじゃない。やっと授業が終わったんだから」

 飛びついてそのままおぶさりながら言う。
 背中に飛びついてきたのは誰なのか言わなくても解るだろ?

「ったく、いいから降りろ」

「なんでよ・・・」

 悲しそうな声が聞こえる。

「そのままでも良いかもしれんが、俺としては手を繋いでいたいんだが?」

 俺がそう言うや否やしがみ付いていた背中から離れ隣に居場所を移す。

「えへへ〜」

 手を取りながら照れ笑いを浮かべている。

「む・・・」

 しかし、何度も思うがこの表情は反則だよなぁ。
 思わず抱きしめたくなってしまう。
 その気持ちを何とか押さえつけ二人で部室へと向かう。
 その道すがら色々話すのが今の俺たちの定番になっていた。

「あのね、あたし気付いた事があるんだぁ」

 今日の話題はハルヒからだな。
 先に話し掛けたほうの話題になるのが最近の俺たちだ。

「こんなに身近なところに不思議があるって」

 ほう、そうかそうかとうとうお前も気付いたってことか。

「あたしの中に不思議はあったのよ」

 そう、あの三人が・・・ってそこまで気付いちまったのか!?

「そ、それってどんな不思議なんだ?」

 心の動揺を抑えつつ聞いてみる。

「えへ〜、知りたいぃ?」

 頬を染めながら聞いてくる。

「あ、ああ、知りたい」

 やっぱりその表情は反則すぎるぞ、と思いながら答える。

「それはね、キョンを好きって気持ち」

 ・・・・・・え?

「一緒にいればいるほど、あたしが素直になればなるほどキョンが大好きになっていくの」

 これって立派な不思議よね、と柔らかく微笑む。

「俺の事が大好きになっていくのがどうして不思議なんだ?」

 本当に解らないのと少しの不安を乗せて聞いてみる。

「だって、これ以上無いって気持ちが全然無いのよ。どこまでもどこまでもキョンを好きになっていくの。
 心にも限界はあると思うのにそんなの関係無い位に膨らみつづけているのよ」

 100ワットの笑顔、いやそれ以上の輝きの笑顔で応えてくれる。
 しかしそれなら、

「それなら、俺の中にも不思議があることになるぞ」

「ふぇ・・・?」

「俺だって同じだ。ハルヒの事が底なし天井無しに大好きなんだからな」

 ハルヒは最初呆然としていたが、次第にその大きな瞳からポロポロと大粒の涙をこぼし始め、

「うん・・・」

 それだけ言って俺の胸の中に顔をうずめた。
 柔らかいこいつの髪を撫でながら思う。
 この瞬間を忘れたくない、これから先の未来もハルヒと共に歩んでいきたいと。
 愛しい人の悲しみの涙なんてもう二度と見たくない。
 だってそうだろ? ハルヒには笑顔が一番似合っているんだから。

「キョンッ!」

 ハルヒが顔を上げて俺を見つめている。

「大好きだからねっ!!」

 満開の笑顔と共に口付け。
 ハルヒを抱く腕に力を込めてそれを受け止める。
 俺だって大好きだぜ、ハルヒ。