長門有希の吉日


 俺はその日、朝から何かおかしかったんだ。
「キョンくんおっはよ〜!」
 いつものように妹に飛びつかれて起こされた俺は何故か目覚めの一番からすごい既視感を感じていた。
 普段なら既視感を感じたら無限にループした夏休みを思い出して気が気ではなくなるはずなのに俺は
「おお、おはよう。いつも起こしてくれてありがとな」なんて口走っていたのだ。
「キョンくんまたハルにゃんくるの?」
 そうだ、この感覚は長門に機嫌をよくしてもらったあの感覚だ。もしかしたらまた長門が機嫌をよくしてくれたのかもしれない。
「今日はハルヒは何にも関係ないぞ。ほら、メシ食べるぞ」
 と、妹を抱っこして下まで降りていった。いちいち感じる既視感も何故だか心地よい。
「わ〜い!」
 俺は気分の良いまま妹を抱えて下まで降りるとご飯をさっと食べて学校へと向かった。





「ようハルヒ」
 ハルヒは俺を驚いた目で見ている。あいさつが無いのはハルヒにとってはデフォルトなんだろうか。
「あんたまた機嫌よさそうね」
「わかるか?何故だか知らんが機嫌がいいんだよ」
 何故だかは知っている。きっと長門の仕業なんだろう。でもそれはもちろん口にはだせない。


 どうでもいい授業をハルヒの相手をしながら過ごす俺は相変わらずどんな状態になっても勉強はしないんだと自分に関心していると、ふと気になった。
 長門は何故今日の俺の機嫌をよくしたんだろう。
 真相を確かめるべく俺は昼休みになると同時に駆け出していくハルヒが去った後コッソリと文芸部室へ向かう。
 文芸部室は昼休みに朝比奈さんがくることはほとんどないためノックはしないで入る。


「いれくれたか」
 いつぞやの様なセリフを吐いて長門を見る。
「……」
 無言を返されたことでやはり異常事態ではない事を確認する。
「俺の機嫌を良くしてくれたのは長門でいいんだな?」
「そう」
 漆黒の瞳が俺を捉える。いつもなら僅かながら緊張するはずだが今日に限っては心地よい。
「今日はなんで俺の機嫌を良くしたんだ?」
「……」
 長門は無言ながらも『怒った?』とでもいいたげに首を少しだけ傾けた後言葉を捜すようにゆっくりと口を開いた。
「先日あなたはわたしのうれしそうな顔が見たいと言った。わたしがうれしそうな顔をすることをシミュレートした結果、あなたが関係することを知った。」
「そうかい。でもそれならなにも俺の機嫌を良くしなくても良かったんじゃないのか?」
 もちろん機嫌が良くなるのは俺にとって嫌なことじゃあないがな。
「あなた同様、わたしもあなたの喜ぶ顔が見たいと感じたため」
 そういうと長門は本に目を戻してしまった。そうか。前回長門は不機嫌だったし俺はハルヒと一緒にいたから長門は機嫌の良い俺をあんまり知らないんだな。
 ならば今日は長門に優しくしてやろう。
「わかった。なら放課後うちにくるか?いや、長門んちに行ってもいいか?」
「かまわない」
 よし、じゃあ放課後SOS団の活動が終わったらなと言って教室へ帰ると昼休みは終わっていた。弁当どうしようか…。





 コンコン
「はぁ〜い」

 あれ、古泉は来てないんですか?
「古泉君は今日はおやすみだそうです。あっお茶いれますね」
 ありがとうございます。朝比奈さんの入れてくれるお茶のお陰で今日一日どころか今後1年は生きていけます。と感謝しながら長門をみるとどうやら少しそわそわしてるようだ。
 もちろん俺にしかわからないくらいだが。
「涼宮さんは一緒じゃないんですね」
 あいつは掃除当番なんですよ。もう少しかかるんじゃないですかね。
「今日はお昼休みに涼宮さんと会ったんですよ」
 それでね、と朝比奈さんは続ける。
「それでね、会って最初にわたしがキョンくんと一緒じゃないんですか?って聞いたら涼宮さん顔を真っ赤にして今日のキョンは変だってずっと言ってるんです。
 キョンにあんなふうに接されると調子が狂うわって。キョンくんがどうしたんですか?って聞いたときの涼宮さんの顔はキョンくんにも見せてあげたかったな」
「へぇ〜あたしがどんな顔してたって?」
「す、涼宮さぁん」
 朝比奈さんの顔がどんどん青くなっていく。こんなときのハルヒはどれだけ機嫌のいい俺でも止められないだろう。


 その後も一波乱どころか二波乱も三波乱もあった団活はいつも通り長門の本を閉じる音を合図に幕を閉じた。
 ハルヒは「じゃあ今日は解散!」と叫んですっかり顔の青くなってしまった朝比奈さんを抱えてどっかへ言ってしまった。


「まって」
 さあ帰る支度を整えようと立ち上がって鞄に手を伸ばしたときに制服の裾を掴んだ白い手の持ち主からの破壊力抜群の一言に俺はたじろいだ。
「やくそく」
 そう言って俺を上目遣いで捕らえてから次の言葉を紡いだ。
「わたしのへや」
「ああわかってるって。今日はそうだな、何をしてほしいんだ?」
「いるだけ」
「それだけでいいのか?わかった。じゃあとりあえず向かおう」
 それとな、さっきのお前はとんでもなく可愛かったぞと付け加えたときの長門の表情は未だに脳内に保管されている。








 そうして俺は見慣れた長門の部屋でくつろいでいる。
 テーブルの上にはお茶とみかん。俺の横には長門有希。俺に寄りかかって本を読んでいる。

「なあ、何で隣に座ってるんだ?」
 無言で俺の目を見据えたあとで首を傾げて数秒。
「なら、寝る」  隣に『座っている』ことが疑問なんじゃなくて『隣に』座ってることが疑問なんだけどな。 「もう寝るのか。じゃあ俺は邪魔にならないように…」
 と言いかけて長門の方を見ると俺の心を抉る悲しそうな視線と無言のプレッシャーに加えて俺の膝を掴んだ白く細い指。
「ひざ、まくら…か?」
「そう」
「わかったよ。だからそんなに寂しそうな顔をするな」
「していない」
 強がらなくてもいいんだぞ。お前の表情を見分ける事だけが俺の唯一の特殊能力なんだ。
「そう」

 照れた様な表情を垣間見せた長門の頭を撫でてやる。
 これはクセになりそうだな、と俺は幸福感に包まれていた。




 しばらくして膝枕していると足が痺れるのは授業中にボーっとしてると寝てしまうくらい俺にとっては当たり前の事で、脳内時計で1時間ほど経った頃時計をみると、
「3時間か…」
 実際には3時間もたっていて、足の痺れはガマンできるのだが、心地よい空気のなか幸福感に満たされていると副作用で睡魔に襲われるのが常である。
「?」
 長門が膝の上から視線を上げる。
「俺も眠くなってきちったよ」
「そう」
 長門は頭をあげて立ち上がった。少しだけもったいない気もした。足に血が戻っていく感触が気持ち悪くて気持ちいい。
 ふと長門は俺の後ろに立って俺の首に腕を絡めて、そのまま後ろから抱きかかえるようなポジションから
「ぐえっ」
 俺を後ろに押し倒した。そして俺が長門に膝枕されるような体制に強制的に移行された。
「お礼」
 なんのだ?
「あなたの膝は心地よかった」
 そうかい。それはよかった。ところで、今さらだが今日長門の家に来たのは日ごろの感謝の気持ちを込めてお前に優しくしてやろうと思うんだが、何かしてほしいことはあるか?
 長門は少し考えて言った。

「あなたの心から笑った顔を見たい」
 そうかい。
「それまでは、帰さない」



 つくり笑顔にダメ出しをくらいまくった俺が家に帰れたのは日付が変わったあとだった。











  結局オチは考え付かなかったのでこんな終わりになってしまいました